「喜多院の五百羅漢や春夕焼」の批評
回答者 なお
鈴木一郎さん、こんにちは。初めまして。
御句拝読しました。以前にも、川越の五百羅漢さんをお詠みですね。
基本的に、名詞だけを置く作りがお好きなようですね。それは、その名詞が、それだけで詩を生むものであれば、余計な形容詞や動詞など不要で、素敵な句になるのですが、そうでないと、思いが伝わりにくい、自分だけの句になりがちです。
御句、喜多院は有名ではありますが、ご存知ない方も少なくないと思いますし、また、五百羅漢さんは多くの方々がご存知のことと思いますが、それだけですと、だから何?となることがあります。
先に出ていますが、以前、「凍雲や五百羅漢に千の耳」というご投句がありました。寒空の下、じっとしているように見える五百羅漢さんですが、実はたくさんの耳で、一体何を聞いていらっしゃるのだろう?我々のお願いごとを聞いてくださっているのかな?千もの耳があれば、お一人くらいは願いを聞き届けてくださるかも…などと、想像の膨らむ秀句でした。
御句も具体的な場所を入れるのもオリジナリティの一つの方法ですが、鈴木さんが、その五百羅漢さんをご覧になってどうお思いになったかをひと言添えてみてはいかがでしょうか?
・哀楽の五百羅漢や春夕焼
・春夕焼五百羅漢の泣き笑い
これは、「羅漢さんは色々なお顔をしているなぁ」ということを詠んだものですが、推敲すればもっと良くなると思います。
またぜひお聞かせください!
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細かいことはよくわかりません。