「野に出でてひそり水路の桜かな」の批評
回答者 負乗
独楽爺さん、こんばんは。
お世話になります。
イサク氏の評のとおりと思いますが、私は別の視点から…
「ひそり」は、よく分からないので、敢えて、ここは臭い言葉を使って、
「野に出でてひとり水路の桜かな」
でも良いのでは…?
宜しくお願いします🙇
「
点数: 1
添削のお礼として、負乗さんの俳句の感想を書いてください >>
作者 独楽爺 投稿日
回答者 負乗
独楽爺さん、こんばんは。
お世話になります。
イサク氏の評のとおりと思いますが、私は別の視点から…
「ひそり」は、よく分からないので、敢えて、ここは臭い言葉を使って、
「野に出でてひとり水路の桜かな」
でも良いのでは…?
宜しくお願いします🙇
「
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回答者 イサク
こんばんは。
◆ 「ひそり」が「野に出でて」という自分の行動か、「桜」か、どちらにかかるかわからない形ですね。
作者の気持ちはたぶん「ひそり水路の桜」だと思うのですが、
そうすると。
「ひそり水路の桜」というのは擬人化的な表現です。
「野に出でて」という自分の行動に「ひそり水路の桜」という擬人化が繋がっていることになります。
なおかつ、その句を「かな」という、句の全体を包むような詠嘆で締めているということになります。
なかなか混乱いたしますね・・・
少なくとも「かな」ならば、句全体を自分の主観にするか、桜を主役にするか、という配慮が欲しいところです。
「かな」を諦められるなら、切れを入れればなんとか・・・
・野に出でて水路をゆけば桜かな
・野にありてひそり水路の桜かな
・野に出づるやひそり水路に咲く桜
点数: 2
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散歩コースの田んぼの水路に立つ桜です。