「枝先の一葉二葉の枯葉かな」の批評
頓さま、こんばんは。
「瘡蓋を~」へのコメントをありがとうございました。お返事が遅くなって申し訳ありません。
決して間違っていませんよ!と言うか、深く鑑賞していただいて嬉しいです。
即物的にも、内面的にもどちらにも読めるような句を目指していましたし、作者の手を離れた句をどう鑑賞するかは読者の自由だと思うますので。
謝罪なんてとんでもないことです。ありがとうございます。
御句拝読しました。
ほぼ枯葉の一物仕立ての句ですね。余計な情報もなく、余韻のある「かな」。寂寥感の伝わってくる、佳い句だと思います。
一点気になるのは、他の方と同じですが「一葉二葉の」ですね。
「いちようにようの」だと字余りなので「ひとはふたはの」でしょうか。
一葉なのか二葉なのかは一目見ればわかると思うので、はっきりさせた方がいいような気がします(特に一物仕立ては、いかにリアルな描写ができるかが勝負だと思うので)。
「一葉」でもいいですが「二葉」「三葉」などとするとリアルな感じがしそうですね。
あるいは、句意は変わりますが「一葉減った」などとしても、毎日枝を見てるんだなという想像が膨らみそうです。
…と色々妄想してしまい失礼しました。
またよろしくお願いします!
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昨日の山裾の景です。O・ヘンリーに「最後の一葉」という作品がありますが…。枝先の枯葉は、もう風前の灯火に…。