「その角を蔦にからめてなく鹿か」の批評
回答者 なお
大西正人さん、こんにちは。
再訪です。
このサイトのルールとして、他の人のコメントに対してコメントすることは、その人から「教えてください」とか言われていない限り、あまり歓迎されないのですが、先の方の「季重なりはそんなにいけないことなのだろうか」というのは問いかけと思いますので、横から失礼とは思いますが、先にコメントしている者として、再訪のうえコメントさせていただきます。
季重なりは全くいけないことではありません。特に、季節が同じ、例えば同じ秋の季語なら、二つ使われていても上手く作用していればいいと思います。
ただ、ご理解いただきたいのは、ここは「俳句添削道場」です。自分の作品を投句して、どこかに問題があるか、どう直せばいいのかを教えてもらう場なのです。
そうしたら、俳句は五七五、季語は一つというルールがある以上、五八五なら、「中八ですよ」、季語が二つ使われていたなら、「季重なりですよ」、と教えてあげるのがこのサイトの存在意義だと思います。
私は先ほど、季重なりは無視して提案句を置かせていただきました。実は、コメントを書いていたら、得意先とのアポが迫っていたので、季重なりを解消した提案句を置く余裕がなくなってしまったからです。
本句は、例えば「蔦」を「蔓」に置き換えても、「鹿」で秋の奥深さが出ますので、必ずしも「避けられない季重なり」とまでは言えないと思います。
どうかご理解を賜りたく、よろしくお願いします。
点数: 1
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秋は、鹿の恋の季節。オスの鹿はメスの鹿を求め、切ない声で鳴きます。その声が寂しさを際立たせるとして、和歌の時代から詠み継がれ、俳句でも「鹿」や「鹿の声」は、秋の季語になっています。真っ赤に色づく蔦も、定家葛の伝説など、絡みつく恋の情念を表すモチーフです。