「明月や慚愧虎と化し天に吠ゆ」の批評
回答者 慈雨
再訪です。
言葉足らずですみません、私の書いた「作者」というのは山月記の作者ではなく、この俳句の作者(不尽さま)のことです。
つまり「不尽さま自身が『慚愧』の感情を抱いて天に吠えている句」なのか、それとも「山月記の内容を紹介した句」なのか、どちらかわからない――ということを言いたかったです。
また、「山月記を俳句にすること自体に無理がある」とは思いません。
「山月記を連想させる言葉を句の一部に盛り込む」「書籍という物体として『山月記』を登場させる」など色々方法はあると思いますし、これは皆様の提案句でも出されている通りです。
ただ私が感じたのは、「句の全体が山月記の内容紹介だけで終わってしまうと、作者(不尽さま)がどこで何をしているシーンなのか見えないため、俳句としては評価されにくいと思う」ということです。
最後に、この道場は基本的に、対等な立場で意見や助言を交流し合う場だと思います。
もちろん経験や力量の豊富な方のコメントがある程度指導的になるのはやむを得ないと思いますが、それでもそこに上下関係や師弟関係があるわけではありません。いろんな賞に入選しているような方が間違えることだってあります。
なのであまり大仰に「重ねてのご指導」とか言わなくていいと思いますよ。「コメントありがとうございます」くらいで。あくまで「間違っているかもしれない、素人の一意見」ですから。
私なんて間違えてばかりですので、あまり大仰に反応されるとかえって緊張してコメントしにくいです(笑)。
またよろしくお願いします。
点数: 1
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「山月記」の拙句に対するご意見、ご指導、有難うございました。その多くの方が、題名外しでした。五文字は確かに大きい…。
しかし、短編ながら、この「山月記」、人間の宿命を、深く掘り下げ、これだけではありませんが、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」、これによって詩人が虎に姿を変えて行く、その斬鬼と朋と家族への断ち切れぬ思い等々、書ききれません。これを五・七・五の俳句の世界で表すなど、🔰の愚生にはほぼ不可能ですが、挑戦致しました。ほんの少しばかり、「山月記」に匂いは出ていましょうか?恥ずかしながら、ご指導の程、宜しくお願い致します。