「秋天をおしのけて在り大王松」の批評
回答者 もんこ
鈴蘭さま
御句拝読いたしました。
壮大な景色が浮かびます。
大王松の力強さ、存在感があり私はこのような句は好きです。
ただ、「秋天」の持つ広がりや爽やかさが弱まっている感じがしないでもないですが、だからと言って適切なご提案ができません、すみません。
秋天をおしのけるより、更におし上げてはいかがでしょう?
またどうぞよろしくお願いいたします。
点数: 1
添削のお礼として、もんこさんの俳句の感想を書いてください >>
作者 鈴蘭 投稿日
要望:厳しくしてください
回答者 もんこ
鈴蘭さま
御句拝読いたしました。
壮大な景色が浮かびます。
大王松の力強さ、存在感があり私はこのような句は好きです。
ただ、「秋天」の持つ広がりや爽やかさが弱まっている感じがしないでもないですが、だからと言って適切なご提案ができません、すみません。
秋天をおしのけるより、更におし上げてはいかがでしょう?
またどうぞよろしくお願いいたします。
点数: 1
添削のお礼として、もんこさんの俳句の感想を書いてください >>
回答者 辻 基倫子
鈴蘭様の句、松の雄大さと、秋の青空の爽快さがよく合っていて堂々とした佳句だと思いました。「大王松」とは明治期に日本に入ってきた北アメリカ原産の松、だと知りました。今はお寺に植えられているのですね。
「大王松」という言葉自体が俳句の言葉としてとても新鮮なので、私なら、そこから見えてくる秋の空も、これまで人が見えていなかった空を描きたくなってしまいます。また、「大王松」は葉が長くしだれていて、風に動くものなのかな、と思い、その特徴をふまえて、よくある松とは違う存在感と、秋空のどこまでも深い青を表現したいと思い、掲句のような案を出しました。
ところで、石榴の句について、本当に「なるほど、ここまで深く考えが及ばなかった、私は本当にまだまだだな。」と分かり、なんだか爽やかな気持ちになり、推敲も進みました。ありがとうございました。
点数: 4
添削のお礼として、辻 基倫子さんの俳句の感想を書いてください >>
回答者 あらちゃん
鈴蘭様こんばんは。はじめまして。
御句拝読しましたが、コメントにあります「お寺」を詠まないのは、少し勿体ないと思いました。
提案句です。
秋天を上ぐる伽藍の大王松
点数: 2
添削のお礼として、あらちゃんさんの俳句の感想を書いてください >>
回答者 めい
鈴蘭様。よろしくお願いします。
チカラの入り過ぎかな?と思います。
うまく、言おう、うまい俳句を、が溢れています。
動詞が複数あり、説明のような俳句です。
秋天を言いたいのか、大王松なのか、ぼやけてしまってます。今のままでは、大王松が勝ってしまいます。おしのけて在り の表現がそうさせるのだと思います。
●大王松すっくと伸びて秋の空
よろしくお願いします。🙇♀️
点数: 1
添削のお礼として、めいさんの俳句の感想を書いてください >>
回答者 ヒッチ俳句
こんばんは。
勉強させて頂きます。
御句、読ませて頂きました。
お寺の本堂の屋根よりもはるかに高く聳える大王松。
一般的なアカマツやクロマツに比べ、その威容は少年時の作者にとっては恐らく、空を押しのける程の迫力であったのだろうと想像されます。
作者は、その偉大なまでの松の存在感を「在り」に込めたのかと思いました。
秋天と相まって、スケールの大きな句だと思いました。
ただその感慨は、恐らく少年時の作者のものであり、現在の作者が見て「秋天をおしのける」ほどの迫力を感じることが出来るかは疑問の残るところではあります。話が少し逸れますが、子供の頃に遊んだ寺の境内は、その時には随分と広く思ったものです。(今見るとやけに小さい)
秋天をもちあぐるやう大王松
ところで作者は、
「だいおうまつ」と詠んだか?
「だいおうしよう」か?
私的には、下5ですから
「だいおうしよう」ではないかと思いました。(さほど変わらないかな?)
いつもあまり有意なコメントが出来なくてすみませんです。
よろしくお願い致します。
点数: 1
添削のお礼として、ヒッチ俳句さんの俳句の感想を書いてください >>
優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
お題、広い景が多くて難しいですね。
お寺に大きな大王松が聳え立っており、占める空間の大きいことが遠目からでもわかったという風景を思い出して作りました。
ぱっと考えれば「秋空に揺るぎなく立つ大王松」というわけですが、もう一歩踏み込みたくて考えてみました。ご意見ご感想あれば、ぜひお願いいたします。