「孫帰り線香花火戸にしまう」の批評
付箋丸さま、こんにちは。
これまでの句を拝見してお若い方かと思っていたのですが、お孫さんがいらっしゃるのですか?
もちろん高齢の方が子ども時代に戻った気持ちで作句する(その逆も)こともあるので、全く問題はないですが、やはり自分自身の視点で作った句が一番実感がこもるような気はします。余計なことでスミマセン。
さて、御句拝読しました。
「使い残した花火」に着目するのは面白い角度だと思います。
同時に、なおじいさんがコメントされている「普通の文章、日記のよう」に関連して気づいたことをコメントさせてください。
率直に、情報量が多すぎて感動の焦点がわかりにくくなっていると感じました。
①孫が帰った。
②花火が残っていた。
③残っていた花火の種類は線香花火である。
④その線香花火をしまった。
⑤しまった場所は戸(棚)である。
という5つの情報が全部並列で並んでいるため、どこに感動があるのかわからなくなっている気がします。
おそらく④⑤はあまり重要な情報ではないと思いますので、省略できるというか、省略した方がいいと思います(なおじいさんの提案句もそのようになっていますね)。
特に②が句のポイントかと思いますので、そこを中心に描写すると良いと思います。
・孫帰りぽつんと残る花火かな
・孫帰り残る線香花火と吾
(吾=あ、と読みます。「私」という意味です)
P.S.
さて、これまでの句にもいろんな方がコメントされていますが、読んでくれているでしょうか?
お礼が欲しいわけでないのですが、コメントを読んで「わかった」のか「納得いかない」のか「難しくてわからない」のか、あるいは「読んでない」のか、それがわかると皆さんもどんな風にコメントすればいいか考えられるので、今後の添削も実のあるものになると思いますよ!
強制ではないですが、よかったら一言でも返信をご検討くださいませー。
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
孫に用意した花火の中で残った線香花火をしまっている様子を言いたいです