「蜩の日々の俳句を詠みにけり」の批評
回答者 なお
竜子さん、こんにちは。
御句およびコメント拝読しました。
このところ、何やら色々とあるようで、そこから生まれた句だと拝察しますが、まずは俳句について気がついたことからお伝えします。
原句では季語の「蜩」が立っていないような気がします。
蜩は日暮らしと読みが通じているので、そこを生かして次のようなのを考えました。
・蜩の句を詠む日々やつれづれに
・市井にて蜩の句を詠みてをり
二句目、市井は「しせい」で「一般庶民の暮らし」みたいな意味です。
竜子さん、なんだか最近、色々とあるようで、それが本句にもコメントにも表れていることと思います。
自分の作品を謙遜して「駄句」ということはあっても、他人の作品を駄句だなどという権利(技量とか実績と言い換えてもいいですが)は、少なくともこの道場に投稿するような人の中にはあり得ないはずです。
ただ、この場は日記でもなければ個人の句帳でもなく、広く公開されて誰でもいつでも無料で参加できる場です。
そしてここに出すということは、人から第三者の目で見てほしい、客観的な意見をいただきたいという目的からだと思います。出す義務もなく、意見を言う義務もない。
出した以上は何か言っていただくことを期待します。それは時には褒めてもいただけるかもしれませんが、時には耳の痛いこともあるでしょう。自分の意に沿わず誤解されることもあると思います。でもそれは、誤解されるような句だったのかもしれません。
しかし、ともに俳句を楽しもう、上達していこうという仲間なのだという感覚であれば、誹謗中傷や公序良俗に反する投句やコメントなどはあってはならないことだと思いますし、この道場に限らずSNSのどこのサイトでも同じことでしょう。
長くなると良くないのでこの辺でやめておきます。竜子さんを非難するつもりも擁護するつもりもなく(ごめんなさい!)、最古参の一人で、自慢ではないですがおそらく最高段位のメンバーとして、自分のためにも、あらためてもう一度このサイトの意味をクリアにしておきたいと思いました。
よろしくお願いします。
点数: 4
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俳句はなぜ詠む
誰のためでもない自分の為。
俳句を詠んで楽しければそれで充分。
目ざわりならスルーしてください。