「秋暑し簾越しでは空狭し」の批評
東野宗孝さま、こんにちは。
御句拝読しました。簾はいいですよね。まだまだしまう気持ちになれないのもよくわかります。
せっかくの秋の空が簾越しでは狭く感じる、という視点も面白くて佳いですね!
「し」の韻を踏んでいるのも一工夫あっていいと思います。
「簾」は夏の季語なので、季重なりになっています。
(「秋簾」という秋の季語もありますが、夏の簾をしまいそびれて季節外れの光景となっているという意味なので、ちょっと句意とは違ってしまいますね)
ただいろいろ考えましたが、この内容でしたら無理に季重なりを解消しなくても、「秋暑し」が主たる季語とわかりますし大丈夫かと思いました。
このままでも良さそうですが、「簾越しでは」がやや説明っぽいので少しだけ変えて考えてみました。
・秋暑し簾の先の空狭し
P.S.
他の人の句の感想を書けないの、とてもわかります!
私もここに来たばかりの頃、コメントのお礼をしようと思ってもそのためには相手の句にコメントをしないといけない…しかしその人の句を見ても何が何だか全くわからない。。「御句拝読しました。全く意味がわかりません」なんて書けないし…どうしよう…ってなってました(笑)。
相手の句の感想は書かなくてもいいと思いますよ。「私の句にコメントありがとうございました」だけでも書いてもらえると嬉しいものです。
(「いいね」ボタンだけでももちろん大丈夫ですが、誰が押したかわからないのが難点です)
またよろしくお願いします!
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
いつも、丁寧な添削をして頂きありがとうございます。
「添削のお礼として、俳句の感想を書いてください」とありますが、感想など書けません。
早く、感想が書ける様になりたいと思っています。
例年なら、簾を外して、美しい景色が望めるのに、まだ簾が外せず、空も狭く感じる。
そんな様子を詠んでみました。