「コスモスや揺れてかすかに母の声」の批評
回答者 みつかづ
初めまして、こんにちは。みつかづと申します。
先ず、お母様のご冥福、ロミさんの安寧を、心よりお祈り申し上げます。
貴句、拝読しました。
結論から申し上げますと、添削の余地は殆ど無く、微調整で済むのではないかと
私は判断いたしました。添削例は後に記載いたします。
作者コメントの「一昨年亡くなった母を想って」をも加味して、
句全体を以下の様に考察いたしました。
・季語「コスモス」
花言葉の「愛情」、「調和」、「美しさ」等を考慮すると、
この季語は他のものには動かせない。
・「や」の詠嘆の場所の是非
コスモスの直後で切ってしまうとコスモス自体は強調されるものの、「揺れて」と
季語コスモスの関係が弱くなり、花言葉と母の声との距離も遠くなってしまうので、
この句にとって適切な切れな位置とは言えないのではないか。
・「揺れて」の是非
「コスモスは風に」等と書けば通常「揺れて」は不要だが、この句の場合、
コスモスと作者心理の両方の描写として「揺れて」が使われている可能性が高いと
容易に読み解ける為、外すのは妥当ではない。
・「かすかに」の是非
一昨年からの年月経過を考えると、お母様の言葉の内容や種類、時期によっては
作者の脳裏に鮮明に響くものもある為、敢えて「かすかに」と書かずに、
「かすかな思い出の様なものも、きっとあるだろう」と読者に思わせたいのが
作者の本意ではなかろうか。
・「母の声」の是非
「声」には音声そのものとしての意味の他に、会話の内容などの含みもある為、
これは外せない。
以上より、添削の余地は殆ど無いと私は考えましたが、
句意はそのままに微調整の添削として以下が考えられます。
・コスモスの揺れやあの日の母の声
・コスモスは揺る過ぐし日の母の声
『俳句添削道場』の皆さんから最近は添削も感想も来ず、点数も付かない、
すっかり嫌われ者になっている様な私めではございますが、
皆さんへの悪意は金輪際ございませんので、
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
点数: 1
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初めまして、ロミと申します。
生まれて初めての投句をします。
これから俳句を学んでいきたいとおもってます。
どうぞよろしくお願い致します。
この句は一昨年亡くなった母を想って詠みました。
ご指導よろしくお願いします。