「空蝉に掴む力の残りけり」の批評
こんばんは。初めまして。
『俳句添削道場』の嫌われ者、みつかづでございます。
拙句「ミキサーに幾つ入れたかプチトマト」に、コメントありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/26930
プチトマトとミニトマトを間違えました(^_^;)
プチトマトはミニトマトの品種の1つでした。そりゃあ季寄せに載っている訳が無い。
お書きくださった「季語の力を信じて詠む方が良い句ができると考える派」は、
基本的には私も同じです。
ただ、正岡子規は「歳時記にとらわれず、実際の季節を大切にしなさい」と
伝えています。歳時記・季寄せの極一部の季語は、実際の季節と
噛み合っていない語がありますし、歳時記によっては違う季節に分類されている語も
あります。従って「参考資料」ですかね。
https://kohaneko.tokyo/2020/05/445/
さて、貴句、拝読しました。
豆柴さんはお上手ですので、私めが迂闊にコメントしにくいというのは
正直あります。と申しますのは、私がコメント入れていない他者様の句の殆どは
「悪くない」、「良い」のどちらかであると私が思っており、
「それは句意と作者コメントが離れ過ぎている」、「何だコレは?」、
「これは大絶賛」という句にはコメントしておりますので。
貴句は殆ど添削の余地は無いと私は思うのですが、
作者コメントにお書きの「木からなかなか採れなくて」。
コンクリートの壁なら全く添削しようがありませんが、
木だったのなら、季語「空蝉」をもう少し押し出せそうではあります。
貴句で変えてはいけない言葉は季語「空蝉」、「けり」。
これ以外でならば微調整できます。
木だったら残される可能性がありますので、以下「無くはない」程度です。
① 空蝉や樹に爪痕の残しけり
② 空蝉や樹に爪痕の刻みけり
③ 空蝉の樹に爪痕の残しけり
④ 空蝉の樹に爪痕の刻みけり
句意は同じですが、より生命力を押し出してみました。
木よりも樹の方が、より瑞々しいかなと思い、ここは変えてみました。
①と②は切れ字を2つ使う「抱え字」という、荒技に出るタイプです。
元が一物仕立てに近いので、成功する可能性が高いよねという事です。
③と④は無難に行くタイプです。
動詞は「残す」の方が個人的には句意に沿っていると思いますが、
一応「刻む」も考えました。
蝉が一生懸命生きていた事、羽化した事の証は空蝉だけではなく
樹にも確かに残されていた、という含みで「残す」、「刻む」ですから、
空蝉を主語にして作者を受動的な立場にする、という詠み方です。
繰り返しになりますが、この貴句は無理に添削する必要は全く無いと私は思います。
読者に伝えたい作者のメッセージには確実に伝わりますので。
以上です。ご覧いただきありがとうございました。
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いつもありがとうございます
木からなかなか採れなくて
脱け殻からも生命を感じます
もうひとつ詠んでいたのが
空蝉をママに見せるとだだこねて
これは類相的ですよね
よろしくお願いいたします