「桜散る山は蒼こそ目立ちけれ」の批評
回答者 慈雨
再訪失礼します。
うわー失礼しました。私の提案句、感じさんのコメントにある通り「や」「けり」で二重の切れ字になってしまっていました。ごめんなさい。
点数: 0
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作者 ぼしゅん 投稿日
回答者 慈雨
再訪失礼します。
うわー失礼しました。私の提案句、感じさんのコメントにある通り「や」「けり」で二重の切れ字になってしまっていました。ごめんなさい。
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回答者 独楽爺
こんにちは。
文法的には正しいいと思いますが、俳句としては次のような点か気になります。
「蒼こそ目立ちけれ」は、蒼は元来は目立たないものですが、花が散って目立っているんですよと逆説的に蒼を強調しています。しかしそれでは散る桜より山の蒼を詠んだ句であり季語の鮮度が落ちてしまっています。
それと、このように作者の思いを主張し押し付ける句は良いとは言い難いと思います。あくまで蒼い山に桜が散ったとその情景を描写するにとどめるのが基本だと思います。
俳句には「けり」という発見、詠嘆の切れ字があって、よく使わ割れるのはご存じかと思います。私としては「けり」を使い添削を試みたいと思います。
”花の散り蒼き山肌染めにけり
染めにけりは今一かもしれませんので一度ご推敲頂けれは幸いです。
今後ともよろしく。
点数: 3
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回答者 慈雨
ぼしゅん様、こんにちは。
御句拝読しました。春が過ぎていく季節と失恋との重なり、とても寂しさが出ていますね。
コメント欄につきまして、
①「こそ~けれ」の係り結びで、「蒼」の強調ですよね。文法は(たぶん)合っているかと思います。
②季語は、「桜散る」は散っていく桜の儚さと美しさに焦点、「春深し」は春も盛りが過ぎていよいよ深まった心情、「行く春」は春が過ぎ去っていくことへの寂しさ。微妙に印象が変わってきそうですね。
御句ですと「山は蒼こそ目立ちけれ」がつながっているので、上五は切れを入れて良いのではないでしょうか。
「桜が散ったから山が蒼くなった」と、いわゆる因果の説明になっているのも解消できるといいかな、とも思います。
個人的には、コメントなしでは失恋のことを詠んでいるとわかならかったので、何かそこへつながる映像を入れたい気がしました。
・行く春や君の写真を捨てにけり
とか…直接的すぎますかね。上手くなくてすみません。またよろしくお願いします!
点数: 0
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回答者 感じ
こんにちは🌞お世話になります。
横から失礼します。
あくまで、一般論ですが。
、、や、、けり
と、切れ字をふたつ用いることは、感動の焦点が拡散するので、避けるべきとされています。
そういう名句もありますが。
私もいまだに、してしまいます。、、
宜しくお願いします。
点数: 0
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
さくらちるやまはあおこそめだちけれ
先日別の方が失恋と決別の句を詠まれていたことに触発され、春の失恋と決別の意味で詠みました。(その方の句はだいぶ流れてしまったので俳句お詳しい方いましたら添削お願い致します🙇♀️)
添削以来:
1.文法が正しいかどうか
山はもう青々としてますよ!(私たちの関係ももうおしまい!)って強調したくて、〜こそ〜けれを使いましたがそもそも使い方は合っていますでしょうか?
2.季語
他に、春深しと行く春で迷いました。
行く春や、にするとキレキレになってでよくないでしょうか。
どうぞよろしくお願い致します。