「今年また山河の中に残花あり」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句。今年、が季語として用いられていないものとして。感慨の句ですからね。
わたしは俳句をはじめるまで、山河にも残花にも、もちろん咲く花すらにも何も心を動かさない者でしたが、今は
咲く前も、蕾も、五分咲きも、満開も、残花も散る桜も、桜蕊も、葉桜も、大好きです。夏井先生はよく定点観測とおっしゃいますが、同じ場所でも日々変化していて、一年後、また同じ場所で同じ景色を見て、また一年をありがとうと思うて、でも昨年とは少し違う景色と、少し違う自分に気づくのです。
この少しく変化する周辺と少し違う自分に気づくことが、俳句をはじめた自分にうまれた余裕のようなものなのかもしれません。
日々の生活に追われて大変だあとばかり呟いてしまいますが、いくつになってもいくつになっても、少し違う自分に出会うのは楽しみなのかもしれませんね。そんな句に感じました。
点数: 1
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息子ふたりに窘められた気分でいます。