「サヨウナラまるちゃんあたしゃ寂しいよ」の批評
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
春うらら議論が起きているようで、こういう議論も道場ならでは、いいですよね。
自他ともに春うららを許容するというならそれもスタンスですし、季重なりだというのもスタンスです。結論からいうとどちらの意見もあると思います。まちがいとかではなくて。
春うらら、はニュースや新聞などで出てきて広がった俗っぽい言葉で季語
としてはうらら、が正しい!という意見や、それが通例として俳句
で詠まれだしてるのだからいいじゃないか、いずれ歳時期にも載るだろう、季語も長い時を経て変わるものだし!という意見もあると思います。
こういうときこそ調べたり勉強したりするチャンスだとわたしはいつも捉えます。
ホームページかイサクさんか、という二択は危険です。ホームページは誰が書いてるかわからない記事ですから筆者がプロかアマかもわかりませんしいろんな季語を作り出しているサイトもいっぱいありますし、一方イサクさんだって今勉強の身で、いろいろ学びながらここにもコメントを残されてるので、絶対視されすぎるとコメントを間違えられない!たいへん過ぎるとなって再びサイトから足が遠くなりかねません。
こういうときこそ歳時記
をたくさん読んでみるのをおすすめします。歳時記はこれまでの俳句界の蓄積です。そこで季語がどう捉えられているのか、を自分で感じていくというチャンスだと思います。ちなみに角川歳時記はこうで、講談社はこうで、主婦の友ではこうで、と歳時記によって違うこともあるので、それも議論になっておもしろいです。
最近まさにイサクさんその仲間たちと、苗床の苗というのは稲の苗なのか、稲以外の苗なのか?という議論をほかの場所でしたばかりでした。めちゃ楽しかったです。
季語深耕というのは計り知れなくてたのしいです。初学でそこまでやれないやりたくない誰か教えて!というスタンスもありますが、俳句がさらに楽しくなるチャンスでもあります。
ちなみに、私のスタンスは、うららで季語なのだから春は重複。うららとうららけし、うらうら、これもニュアンスが違うので、五音余ったから、うららけしとするかはその句にうららけしが合うかを悩んで決めます。
とくに、春うらら、の春が重複なら、春を省けるので、二音あればまだまだ映像をうむこともできます。
街うらら、とか湖うらら、とか、二音の可能性が生まれるのだから、春を省略するべきというのはそういう意味で考えています。
これもわたしの一意見。いろんなひとの意見を聞いて、でも自分で調べてですね!
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
TARAKOさんを偲んで