「卵酒せがむ母の背骨かな」の批評
回答者 いなだはまち
唯我独善と申します。宜しくお願いいたします。🙇
母が存命のうちに、俳句に出逢えていたらと、拝読して思いました。世良日守様は、お母様のことを沢山詠んでさしあげてくださいね。これからも楽しみにしておりますので。🙇
点数: 1
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作者 世良日守 投稿日
回答者 いなだはまち
唯我独善と申します。宜しくお願いいたします。🙇
母が存命のうちに、俳句に出逢えていたらと、拝読して思いました。世良日守様は、お母様のことを沢山詠んでさしあげてくださいね。これからも楽しみにしておりますので。🙇
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回答者 塩豆
始めましてです!塩豆と申します。
最後を背骨で着地させるあたりはとても良いと思いました。この背骨から読み手は色々な事を考察し、多くことを読み取ったり想像できたりしますね。一見季語が動くかに見えましたが、少し考えると決してそうでもないと確信しました。
気になったのは中七です。「せがむ」という動詞では実際に「卵酒」が映像としては出てこなくなるので季語の鮮度が落ちます。また、音数も「中六」というのはあまり聞いたことがありませんし避けたほうがよいでしょう。
卵酒抱ける母の背骨かな
「抱(いだ)ける母」は「抱いている母」という意味です。こんな感じにしてもアリなのかなと思いました。
それにしても「背骨」に注目して鑑賞者に「読み」を引き出させたのは見事と思います。実体験を元にした俳句だったのでしょうか。もし頭で考えたというのなら羨ましいほどの発想力です。
点数: 1
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中七下五はありきたり...かなと思いますが、説明句にならない様に、詩情が出るように考えてみました。