「合鴨の一羽流れて冬の川」の批評
回答者 ハオニー
合鴨は季語じゃないと考えてもいいと思います
この合鴨は意図的に放たれたものではないかと読む人もいるでしょう
囮として放ったのか、愛玩していたのに捨てたのかなどなどあります
野生だとしても釣糸が足に絡まって流されているのか、死にそうだからなのかなど、ブラックな深読みも出来ます
重複を避けるセオリーを壊し「流れて」を入れているのですから
でも「流れて」を使わなくても、このブラックな作風を保つことは可能です
そのためには、敢えて動詞を捨てるのです
合鴨の一羽は冬の川下へ
「は」のおかげで、この「一羽」が大きく利いてきます
元々一羽だけだったのか、近くに番か親がいるのか、兄弟とはぐれたのか、などシナリオが一気に広がるようになるのです
こういう作風は、人によって点数が大きく揺らぐでしょう
考察力の高い人じゃないと、正当に評価することさえままならないと思うのです
私はこういう作風、よくやります
点数: 0
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千日草です。いつもお世話になっております。冬眠中ですが、寒い昨日見た光景そのまんまです。鴨は季語ですが、合鴨は飼われている鴨です。季重なりになるでしょうか?