「梅雨晴れやシーツはためく庭先に」の批評
こんにちは。
いいですね!季語を一個にするというだけで、俄然「梅雨晴れ」の句になりました。
シーツも白くてこころよい空気感が出ます。いいですね!
①あとは、いろいろ微調整をしながら、自分の読みたいことを考えていきます。
梅雨晴れやシーツはためく庭先に
下五の「に」は必要かどうか。場所を表す「に」で余韻の効果が出ているだろうか。
梅雨晴れやシーツはためく庭の先
最後に梅雨晴れを持ってきて、梅雨晴れの印象を広げるような語順はどうだろうか。
庭先にはためくシーツ梅雨晴れ間
こんなことをやって語順や一字の推敲をしながら、自分が思い描いている光景が、読み手に一番届く推敲というのをしています。
これで、できた!という形を試行錯誤します。
②これができるようになるともう一歩先のことを考えます。
今回は、梅雨晴れとシーツの庭というものを取り合わせるという形にはなるのですが、梅雨が明けて晴れた「から」シーツを干している、という「だから」という関係でつながっている印象がありませんか?
実は俳句では、こういう「だから」の関係にあるものを「因果関係」と呼び、梅雨晴れと言えば、で「シーツ洗濯」とわりとすぐに連想されるものを「季語と近い、季語と即きすぎている」と言い、俳句を詩的なものとするときに避けることになります。
今回は「梅雨晴れ」をお題にして詠んでいるので、梅雨晴れに連想するものは、という風に句を作ったと思うのですが、最初のうちは、季語以外の12音からと詠んで、そこに「因果関係」のない、「近すぎない」季語を斡旋するという方がいいかもしれませんね。たとえば、梅雨の季節の動物や植物などと合わせて、相乗効果はないかとさぐったり。
うしがへるシーツはためく庭先に
十薬やシーツはためく庭先に
しかし、前句から今句でこんなにきれいになるとは!次もたのしみです!
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季語をひとつにすることを心がけてみました。