「冬の朝布団で聴きたる雨音」の批評
回答者 佐渡
大さん!こんばんは!
初めましてよろしくお願いします。
朝雨が降ると布団を抜けるのも億劫だし、発奮して散歩に行く気もならない。
今日は雨かという気分でしょうか?
何となく一日の出鼻を挫かれたという気持ちで。
提案句です。
・雨音のはやる気の萎え掛蒲団
二度寝した。
よろしくお願いいたします。
点数: 1
添削のお礼として、佐渡さんの俳句の感想を書いてください >>
作者 大 投稿日
回答者 佐渡
大さん!こんばんは!
初めましてよろしくお願いします。
朝雨が降ると布団を抜けるのも億劫だし、発奮して散歩に行く気もならない。
今日は雨かという気分でしょうか?
何となく一日の出鼻を挫かれたという気持ちで。
提案句です。
・雨音のはやる気の萎え掛蒲団
二度寝した。
よろしくお願いいたします。
点数: 1
添削のお礼として、佐渡さんの俳句の感想を書いてください >>
回答者 つちや郷里
大さんこんにちは。
御句ですが、実は「布団」というのは冬の季語なので「冬の朝」との季重なりになっております。
あと、中八、下四という破調になってますが、この内容であれば出来るだけ五七五に収めたいですね。
・「雨の音聴きたる朝の布団かな」
・「雨の音布団の中で聴く朝(あした)」
直してて思ったんですが、「音」とあるので「聴く」が必要なのか気になりました。
この句の場合は捨て石として必要なのかな。
まあ、俳句を詠むには実感が大事ですから、一応このままで。
次回も楽しみにしてます。
点数: 2
添削のお礼として、つちや郷里さんの俳句の感想を書いてください >>
回答者 イサク
おはようございます。
日記俳句ですね。
実体験は重要ですが、
その体験、はそのまま伝えて「詩」になっているのかどうなのか?
詩になっていないなら、
「詩」にするための工夫はしたのか?
どのような「詩」として、受け手に伝わると思ったのか?
その意図や工夫がなければ、せっかくの俳句が『状況を伝える報告』『状況を書き留めた日記』で終ってしまいます。
・寝床より聞く雨音や冬浅し
俳句に限らず詩の世界では、詩に魅力を出すための「ありうべき嘘」が許容されています。そういうのを考えてもいいかと思います。
点数: 1
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
回答者 なお
大さん、こんにちは。
御句拝読しました。
季重なりと、五七五に整えた方がいいという点は、すでに海郷さんから出ています。
そしてイサクさんのコメントと被るかもしれませんがお聞きください。
大さんは「季語が普通すぎるかもしれないが状況的にはこの通り」とおっしゃっていますね。
ただこれは、季語が普通ということではなくて、詠んでいらっしゃることが、おそらく少なくてもこの勤労感謝の日の関東地方では、住民全員に当てはまることだと思うのですよ。
要するに何が言いたいかと言うと、日本人は大体布団で寝ていて(ベッドでも布団はかけている)、今日は朝から雨ですから、徹夜の人とか夜勤の人とかを除けば、例えば私も、朝はまず布団で雨の音を聞いたわけです。妻も、息子もそうだと思います。そういう意味で普通なのです。
ですからここに、大さんならではの何かを加えたいと思うのです。
例えば雨の音を聞いてどう思ったか? うれしい、悔しい、ハイキングは中止だ、まだ寝ていよう、カタールも雨かな…まだ眠い…。
あるいは、大さん宅でしか起きていないこととか。
・雨音にすべて中止の冬の朝
・雨音に強弱のあり冬の朝
・雨音に子も起きて来ぬ冬の朝
・冬の朝猫も寝床の雨の音
点数: 1
添削のお礼として、なおさんの俳句の感想を書いてください >>
優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
季語が普通過ぎる気がしてますが、状況的にはこの通りなんですよね。