「名月や首の痛めど仰ぎゐる」の批評
回答者 なお
岩住涼太さん、こんにちは。
御句拝読しました。
なんとなく情景はわかるのですが、「首の痛めど」をどう捉えたらいいのか少し悩みます。
「首が痛いけど」「首が痛くなるまで」、どちらでもいいのかもしれませんが、ちょっと読み替えさせていただきました。
・名月や痛む首筋かばいつつ
点数: 3
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作者 岩住涼太 投稿日
回答者 なお
岩住涼太さん、こんにちは。
御句拝読しました。
なんとなく情景はわかるのですが、「首の痛めど」をどう捉えたらいいのか少し悩みます。
「首が痛いけど」「首が痛くなるまで」、どちらでもいいのかもしれませんが、ちょっと読み替えさせていただきました。
・名月や痛む首筋かばいつつ
点数: 3
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回答者 イサク
おはようございます。
どうコメントを残したらいいか悩んでいました。
まず、「名月だから仰ぎ見ている」というバリバリの因果が気になりますが、これを指摘すると句が成立しないので、もう気にしないとして、
「もともと首を痛めているが、名月だから見てしまう」のか、「名月を見ていて首を痛めたが、そのまま月を見る」のか、「首を痛めてもいいから名月を見る(という開き直り)」なのか。
どれでもいいのですが、うまく受け取れずに迷いがでるので・・・
コメントからも、どれかはわかりませんね。
助詞や活用や、単語のつながりを整理してみましょうか?
「ゐる」は入れたいのでしょうが、これを入れると主役が自分になってしまいます。今回は「首の痛み」を入れたいので、要素が多すぎるので外します。
・名月を仰ぐや首を痛むれど
・名月を仰ぐや首の痛みなど
他にもなにかやりようはあります。
「ゐる」を入れたいなら、五七五の少ない音数の中で「首の痛み」まで入れるのは難しいです。
点数: 1
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おはようございます。
久しぶりの投句になりますが、これからもよろしくお願いします。
この間の中秋の名月ですが、今夜は名月だとすっかり忘れてて、ちょっと散歩に出かけようと思って家を出ると、驚きました。そして、しばらくそこに立って月を眺めていました。
ご意見をよろしくお願いします。