「日傘さす品良き四人布教らし」の批評
回答者 なお
しお胡椒さん、こんにちは。
御句拝読しました。
これはなかなか面白い句ですね。この光景、わかりますよ!
そして色々、コメントのタネがありますね。
まず「品良き」ですが、自分以外の人や動物について何か形容する場合は注意が必要です。例えば「寂しげな人」と詠むとします。なんでそう思ったのか?なんで人のことがわかるの?となります。
夕方の景色とかが寂しげ、はいいですが、人の心の読みは難しいですからね。
本句の「品が良い」はどうかというと、必ずしもダメではないと思うのです。かなり外見の問題ですからね。ただ、別の問題が発生します。なんで品が良いと思ったかというと、おそらく服装や持ち物、聞こえたとしたらしゃべり方などからだと思うのです。
しかし本句の場合、それは「日傘」で象徴されるのでは?
それが季語の力であって、日傘を持っている人をあえて品が良いと言わなくても、そこは季語に委ねていいのだと思います。
次に「四人」。これは確かにそのくらいの人数がいたのだろうと思いますが、果たしてここで四人と言う必要があるでしょうか?
というのは、このような数詞は、時として特別な意味合いを示唆することがあるからです。例えば野球の句で「九人の息を合わせて〜」とかであれば、この9人は1チームの人数だなとわかりますが、本句では、四人と言ってしまっただけに、何か意味があるのか?といらぬ点が気になってしまいます。
あと、「布教らし」。これは推測ですよね。推測ですから「らし」としている。それはいいのですが、長谷さんのおっしゃるように、作者が、「布教らしいぞ」と言ってしまうより、読み手に材料を提供して、「あ、それなら例の布教じゃない?」とか想像してもらったほうが面白いかもです。
・四人連れ手には日傘とあの書物
・門ごとに教えを説くや白日傘
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時々見掛ける日傘をさした四、五人の品の良い女性達は某宗教の布教活動らしくご苦労様です。 どちら様か 添削 有り難う御座います。