「喧騒を求めさみだるる渋谷へ」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
前も言いましたが俳句伝統教会は、ここに顔を出すメンバーでは私やげばげば様、機械児様、ダック様あたりに入選経験がありますが、みな数か月に一度程度の掲載です。そこまで結果を急がなくてもよいかと思いますが・・・
とはいえ御句、
◆俳句というよりは日記のようです。
◆これ、本人はどこにいるんでしょう?
渋谷に到着してませんし、目の前に「五月雨」もありません。
句の中に風景がないのではないかと・・・
例えば
・五月雨や喧騒求め渋谷へと
とすれば、本人がどこにいるかはわかりませんが「五月雨」という風景は残ります。
私が全く実力で敵わない俳人さんが、最近「(誰に言うでもないけれど)結果を受け止める時、自分を過大評価しているから傷が深いのね。自分は大好きだけど自惚れちゃダメよ。」とつぶやいており、確かに同意だと思いました。
結果が出ないとつまらなく感じるのはわかりますけれどね。
点数: 1
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
俳句伝統協会、またしても落選。
というか母数が分からないけど20句くらいに選ばれるのはたーとるQくらいの素人では無謀な挑戦なのかな……
雨の日というのは静かだったり穏やかになりがちだが、渋谷は変わらずに電光掲示やネオンの看板、そして道行く若者達の談話や傘に跳ね返る雨粒…「喧騒」がある。
梅雨で(当時詠んだときにはこんなに梅雨明けが早いとは思いませんでした)静な環境ばかりの中、少しでも動が欲しいと渋谷駅辺りにいたときのことを思い出した。