「滝壺を追ひ返されたみづ此処へ」の批評
回答者 イサク
こんにちは。
滝は先週投句済ですが、私も類想検索かけました。実際、ポスト天地句やプレバト高評価句にひっぱられてる句はよく見ますね。
兼題落花のとき「落ちるな落ちるなよ」というフレーズを思いついて一瞬「勝った」と思いつつ、すぐに「これは自分の言語センスではない」と気づいたのは良い経験です(笑)結果は推して知るべし。
御句、「追ひ返されたみづ」の映像が私にはわかりませんでした。追い出された、ではなく?
「返される」というと滝上・上流へ戻されるようなイメージです。でもそんな句ではないですよね。「此処へ」ですし。
点数: 1
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兼題「滝」の自選没句。「滝」「虹」「故郷(テーマ)」投句済ませました…。
これまで俳句生活への投句は、上限三句のうち、一句は一物仕立てに挑戦、二句目は自分として出来たと思っているもの(ほぼ取り合わせ句)、三句目は題によるけれども、お遊び・チャレンジの類いか、“エイヤッ”(大した句数が出来なかったときの投げやりな句。時折選ばれて「こっち?」となる句)だったのですが、今回、一物仕立てへの挑戦は諦めました。いろいろ滝の映像を見たり、昔見た華厳の滝を思い返したりして作るも、何をやっても先行名句(特に後藤夜半の句)に引きずられた劣化コピーにしか見えず、…。
まあ、引きずられている感覚があるだけ良いのかも知れませんが。
※最近は、引きずられた自覚なく、無意識・無感覚に剽窃しているんじゃないかという不安をちょくちょく感じていて(デジャヴというやつか)。“投句しようとする句の中心となる言い回し”+「俳句」でもってWeb検索して、既出の句でないか確認はしています。してはいるけれども、Webでヒットする俳句はごく一部。もしかしたら、活字(雑誌とか、歳時記とか)で掲載されていた句や、既に消されたネット俳句を見ていて、これを改めて“自分の句として”思いついたりしているんじゃないか…。
この間は投句後に歳時記をめくっていたら句中の十音ほどがほぼ同じ句に出くわしたりして…(季語や表記は違っていて、別の句ではあるのだが…)、怖いなあ。向こうはプロだから、剽窃めいた句は、ちゃんとはじかれるものと思いたいが…。