「陽炎やひとすじのタイヤ痕触れ」の批評
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句。いろいろな形があると思うので、推敲していくのってとてもいいですね。
先の句も含めて。ここから私の感想です。いくさん自身の意見があるので、こんな考えもあるのだなと受け方でいいのだと思います。
陽炎や急ブレーキのタイヤ痕
上五「や」で十分基本形で良いと思っています。陽炎が全体を包んでる感じになるようには思います「と」は同じ映像の中に並べられてる感じは出るのですが、季語
は弱まる印象です。そちらが良いという人もいると思いはします。タイヤ痕の時点で急ブレーキはわかるので、他の措辞へいったのはいい選択に感じました。「ひとすじ」もブレーキ痕ならひとすじが普通やろとか、ふたすじかよんすじやろ、という意見も出たりしますが、一本をすーっと見せたいという意図ならそれでいいのだと思います。私は一本スーッと見えました。
陽炎やひとすじのタイヤ痕触れ
「触れ」は詠み手の動作ということになるのかなあと。「陽炎が触れる」という風にも読めていく、557のリズムになるのと動作が読みを限定させていくことがどう思うかです。それを良いと思う人もいると思います。私はその動作は受け手が想像するので置いておきたい派です。タイヤ痕に何か思いを持っているのかなあ、事故かなあ、もしかしたらいたわって触れているのかなあ、など陽炎という季語の力でいろいろ想像してくれるとうれしいと思います。いっとき私も習作期がありましたが、動作を完全排除できて動作は受け手が想像できる句ってスゴいと思うからです。とくに詠み手自身の動作は日記になりやすくもあります。
上は自身の動作じゃなくしたバージョン、下は名詞・助詞だけで置いてみました。
陽炎を追ふひとすじのタイヤ痕
陽炎や「止まれ」の上のタイヤ痕
もし「触れる」という受け手の心情を詠みこみたいなら、季語「陽炎」の斡旋をかえる手もあります。「自分の大切な人のタイヤ痕に触れたいという心情」まで読み取ってくれる季語が何かを考えるのもいいかもしれません。
いろんな推敲をしながら詠んでいくのって、めちゃめちゃ勉強になると思いますし、どれもいろんな効果があると思います。それをして良くなるときもマイナスに働くこともあると思いますが、ぜひいろいろためしてみてください!
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
急ブレーキかけたからタイヤ痕でしょと
某先生に怒られそうなので
こちらで訂正します。
すいません。
なおじい様へのコメントにもありましたが
陽炎の取り合わせの是非ですが
場所の実景でなく
触れで被害者の心情も入れ
陽炎に寄せてにいったつもりです。
よろしくお願いします。