「類想をおそるるなかれ薔薇の棘」の批評
こんにちは。
いつも的確なコメントありがとうございます。
そうですねー、類想は共感なのでダメじゃないと、この道場でも教えられましたにで、肝に銘じています!
夏井先生のYouTubeでも、類想は共感だしまったくダメじゃない、そこに2音3音のオリジナリティを足すだけで才能アリに変わるのだとおっしゃっていますね。自分で読む、人に読んでもらう分には類想どまんなかでもいいのですが、選となると、そこに少しの独自性や驚きはほしくなるという意味なのでしょうか。
この間、Twitterで俳ポニストの古瀬まさあきさんが、かつての俳ポの兼題と戦った軌跡のメモが出てきた!とkeepの画像を公開されてたのですがそれが興味深すぎて。一個の兼題に対して、というより、一個の同じ句を「今朝」にかえたり「空」にかえたり語順をかえたりとしたものが30~50と並んでおり、その中から投句したもの選にとられたものがチェックされているのを見ました。てっきり俳ポだけでなく角川などでも推薦秀逸で常に活躍されている古瀬さんなので脳も心も詩のかたまりなのかなと思ってましたが、1音2音を徹底的に戦って、句の措辞の無駄が見えるまでやるとおっしゃってました。
句材のオリジナリティも掛け合わせの驚きも大事ですが、推敲ってとにかく大切だなあと感じる今日この頃です。そういう意味でこの道場はとてもありがたくて、ここが気になるというところをちゃんと突いてくれるし、語順も措辞も季語斡旋も、あゝそっちかあという気づきも与えてくれるし。
ということで、類想をおそるるなかれ薔薇の棘、卓鐘さんのあたたかいお言葉でほっとしました(^^♪ 今絶賛類想中なので。そろそろこの類想に羽は生えてこないかなあ、待っても生えてこないなあ、飛ぼうとする努力ということなのだなあ。
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
俳句ポスト365という投句サイトの今の兼題が薔薇。プレバト夏井先生が選者なんですが、最近やたらと類想に対する警戒をならしている。
夏井先生も決して、類想が駄目だなんて言ってない。むしろ類想は共感の土台だと。ただ、おんなじ内容になりがちだから気をつけようと。確かに俳句という作品において、おんなじものがたくさんうまれても世にだす意味がない。そこにその人にしか詠めない感性がなければ、作品としての価値が薄い。そもそも俳句は、内面の表現と考えている。外界を表現しているようで個々人の内面というフィルターでとらえたものを言葉で切り取る芸術。絵画とも通じると思う。なのでオリジナテイを求められて当然と言えば当然。
まぁ毎日何千と句をみてたらおんなじないのうが並ぶとうんざりするたろうし笑
ということで、薔薇の棘という類想ど真ん中に僕なりのフィルターでの表現を試みてみたのだが、ろくなのでません。😅
そつと手を添えられたくて薔薇は棘
触れたらば触れたるところ薔薇の棘
痛みとは薔薇に傷つけらるること
こんなこと考えてはボツにしまくってます。
追伸
イサクさん二週秀作以上確定ですね!ここから秀作以上常連が出て行きそうなのがめちゃくちゃ嬉しい。僕も頑張ろうとおもえます。