「長話飛べと念じる手乗り蜂」の批評
回答者 なお
やここさん、こんにちは。二句目拝読しました。
俳句は五七五の十七音しかないので、なかなか思いをうまく伝えるのは難しいですね。逆に、短いので全てを言わずに、「後は読み手の想像にお任せする、という姿勢も大切なようです。もちろん、作者の思いの通りに想像していただきたいですけどね。
そうした前提で御句を見てみますと、他の方々からも出ていますが、動詞の主語がわかりにくいので、句意が汲み取りにくいということと、音数の関係で略し過ぎたために違う意味になってしまったところがありますね。
前者は長話しているのは誰なのか、飛べと念じているのは誰なのか。
後者は手乗り蜂。手乗り文鳥を思い出します。それも誰の手に乗っているのか?
これらを整理する必要がありますね。
・腕の蜂払へずに聞く長話
校長とか朝礼とかを入れたかったですが難しかったです。
しかしやここさん、刺されないでよかった。多分、変に動かないのがよかったのだと思いますよ。
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添削のお礼として、なおさんの俳句の感想を書いてください >>
前回の投稿の際お代が蜂だったので蜂の句も考えてみました。
小学校の時校長先生の話の最中に手に蜂が止まり、動くわけにもいかず必死に飛んでいくように思っていたのを句にしました。(その時は刺さないで飛んでいきました)
評価をよろしくお願い致します。
前回の俳句の反省
前の俳句で数々の評価ありがとうございます。まだ添削はできないのでここで反省も兼ねて感謝を述べさせて頂きます。
季語が弱かったり「も」が少し気になるのは考えていたのですが冷たしが季語になるのは完全に盲点でした…
あと凍返るという季語があったんですね(春風関連しかみてませんでした)。それなら「凍返る心中赤信号は続く」見たいな感じにしても良かったな…
ありがとうございました。
以下気になったコメント返し
「破調では」
破調でした…
「俳句を詠まれるのか」
今まで詠んだことはないです。ただプレバトを毎週見ている関係で俳句でいいことやよくないことはある程度は知っている感じです。