「雨上がる緑の中や遅桜」の批評
回答者 イサク
再訪です。
「雨上がる」は連体形として見れば「雨上がる緑の中」でつながるのですが、連体形として見た場合の違和感は「雨上がる」が現在形ということでしょうね。
細かく言えば「雨上がる緑の中」では、これから雨が上がることを予言しているかのようです。
「雨上がる」と終止形で切ると、「切れ」によってニュアンスが変わり、現在形でありながら「今まさに雨が上がる(上がろうとしている)。(一旦切れて)さて緑の中は~」という感じに受け取れます。俳句の「切れ」の効果ですね。
正解はありません。
作句者がどうしたいか、も大切ですし、受け取り側がどう受け取ったか、を無視しては他人に俳句を見せる意味がありません。
他人が全て正しいことを言っているとは限りませんし、最初のうちは混乱すると思いますが、その中でご自身の俳句をみつけていくということだと思います。
点数: 1
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ソメイヨシノは散ったのに雨が上がりの木々の中に桜が咲いていた。
木は山桜か里さくら。
中七に「や」の切字を使った。