「静かなり太極を舞ふ散る花も」の批評
回答者 卓鐘
(イサクさんとのやり取りでめちゃ気になったので。こういうのほっとけないたちですみません。)
■俳句における音数の数え方
拗音(ゃ、ゅ、ょ)は、1音に数えません。「ちゃ」で一音
促音(っ)は1音に数えます。「はっぴょう」は、は・っ・ぴょ・うで四音
撥音(ん)長音(ー)は1音に数えます
「チューリップ」は、ちゅ・ー・り・っ・ぷで五音
■5・7・5について
俳句は原則、5音・7音・5音で作るのはご存知の通りですが、絶体ではありません。絶対ではないが原則・基本です。
絶体ではないので、字余り・字足らず・自由律などの変則パターンがあります。自由律は、俳句と呼ぶか?みたいな議論もあり自由すぎるのでここでは割愛します。
[字余り・字足らず]
5・7・5のリズムが基本となるので、字余りや字足らずが発生するとそこに違和感が生じます。そこで生まれる違和感が句の内容と合致し効果を生むとき、字余りや字足らずが効果的に機能します。つまり、あえてリズムを崩す事で、句の効果を引き立たせる高等技術であるとご理解ください。意図的ではない場合は、5・7・5におさめるのが無難です。音数がおさまりきらないから仕方なく・・という代物ではないということです。
ただ、5・7・5に納めることが出来ないからといって、強引な言葉の省略をしたり、自分勝手な造語を作ったり(造語がダメということではない)、意味不明な日本語になったり、などはもっといけません。俳句は、芸術である前に言葉であるので、言葉として成立しないものは許容できないから。それをしなくては、納められないなら言葉の技術不足として諦めて字余りにしましょう。
(治める努力はしましょう。)
ただ、字余りが許容されやすい(読んだ時のリズムとして違和感が少ない)パターンがいくつかあります。
・長音・撥音は一気に読めば字余りが気になりにくい
・拗音がたくさんある場合には気になりにくい
などです。
例えば、「入学式」は、にゅ・う・が・く・し・きの6音ですが、にゅーがくしきみたいに、拗音と長音が組み合わさっているので全体として気になりにくいです。
(字余りは字余りです。)
また、どうしても字余りせざる得ない場合、上五に持ってくるのがセオリーです。中七、下五でバランスを整えやすいから。
他にも字余りについていろんな技術や考え方があるので、おいおい。
[句またがり]
他にも句またがりという方があります。
羊羹はぶあつい雛の髪きれい / げばげば
意味の切れ目が、中七の途中で発生するような型です。羊羹はぶあつい / 雛の髪きれい で意味が切れてますね。
※この句は、意味切れているものの5/7/5ですが、全部で17音を超えても気になりにくいという特徴はあります。(17音が一番綺麗です。)
■蛇足
私の提案句は、きっちり5/7/5です。
点数: 2
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古文がよくわからないのですが、「静かな事だ、太極拳を舞う事も散る桜も」
いう意味になりますか?どなたか教えて下さい。