「躓ける母に御加護の彼岸かな」の批評
回答者 なお
こんにちは。ちゃあき様、いつもお世話になってます。
拙句「結果を伝えるメール」にコメント有難うございました。悔しいと思ってもらえて嬉しいです(笑)。
さて御句拝読しました。お墓参りいらっしゃったのですね。そしてそのようなことが!間違いなくご加護ですね。
でも、それをそう言ってしまっては、俳句の風情がなくなる、というか、聞く(読む)者の役割を奪ってしまう(楽しみが無くなる)ような気がします。
前述のように、「今日ね、こんなことがあったんだよ」「あらまあ、よかったねー、そりゃお父さんのご加護だよー」という流れのほうがいいのでは?
御句では「動作(つまずく)」と「背景(ご加護)」を語り、結果(受け止められたこと)を想像させていますが、私は、「つまずく」と「結果(受け止められた)」を語り、それをどう思ったかのほうを読者に委ねるほうを取ろうかなと思いました。
・躓きし母受け止めて彼岸かな
点数: 1
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今日は父親の墓参りに行きました。霊園の入口で母が躓きましたが、僕がたまたま前を歩いていたため受け止める形になり大事に至りませんでした。父が守ってくれたのかなと。ご意見よろしくお願いします。