「だんまりのたまの会話や花辛夷」の批評
こんばんは。
前の句ですが、歳時記
の通り「本能のおもむくままに恋やつれした猫の姿」だったら、【本能のおもむくまま】メスを奪い合ったり、その結果交尾に成功したり、逆にケンカに負けて諦めた、でしたね。「押せ押せと言われてやっとその気になった」という可愛らしい恋愛(言い方悪くてごめんなさい)では、重なりませんでしたね。
前置きが長くなりました。
御句、どこか映像が出ないなーと思っていました。問題と思えるのは二点あります。
◆「だんまり(の二人)のたまの会話」がそもそも説明であること。
特に「たまの会話」のところです。
◆コメントを読むまでわかりませんでしたが「辛夷の花があったから、だんまりの二人が会話した」という理屈(原因結果)で句をつなごうとしていること。
実体験から句を作るのが悪いわけではないです。むしろちゃあき様は句材を拾うセンスはあると思います。
物語をわざわざ言葉で語ろうとせずに、離れた方が風景は出しやすいと思います。
・だんまりの二人の前の花辛夷
(花辛夷について会話したかどうかまでは説明しません。受け手に託します)
・花辛夷男二人で語りけり
(いつもは無口な二人が・・・の理屈を抜きました)
・だんまりの話題としたる猫の恋
(たまに口を開いたと思ったら盛りのついた猫の話かよ・・・)
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
駅前の辛夷が咲き始めました。電車通勤はU君と僕の二人だけなのですが、朝と帰りは自動車通勤のTさんが駅まで送り迎えしてくれます。Tさんは、よく喋る人なので車内での話題には事欠きませんが、U君は僕に輪を掛けたように無口なので車を降りてから改札で登り方面と下り方面に分れるまで二人とも黙ったままです。ところが今日は、辛夷の花が咲いていたので話題ができ、短時間ですが二人の間に会話が生れたという句です。長くなりましたが、ご意見よろしくお願いします。