「暦手におもい馳せたる初昔」の批評
回答者 なお
こんにちは。よした山月さま、いつもお世話になってます。
御句拝読しました。
覚えたばかりの「初昔」という季語で早速詠んでみようという意欲は素晴らしいと思いますし、暦を手にして思いを馳せるのはなかなかだと敬服します。
しかし俳句としては、それをこのように詠み込んでは違うのです。皆さんもおっしゃっているように、これでは季語の説明になってしまいます。
「みんな、聞いてくれ!私はこんな素敵な季語を覚えたのだよ!初昔というんだ!その意味は…」となってしまいます。
すでにこの季語を消化したげばさんの提案句をご覧ください。すでに、枯れた風情が漂っています。私もこうありたい。
よしたさん、一緒に頑張りましょう!
それには、とにかく、当面は、自分の感情、動作、行為を出さないようにしましょう。誤解のないように申し上げますが、感情は悪いことではないのですが、よしたさんの場合は出過ぎるのです。少し抑え気味にしましょう。
目の前の感動した光景を客観的に十二音で詠み、そこに季節の季語を合わせてみましょう(ちなみに、このくだりは自分に言い聞かせてます)。
点数: 1
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よろしくお願いいたします。
修正版です。
前句は
暦を当たらしいものにし、新年を慶び
去年の身内の不幸を思い返した。
ということからでした。
寿ぐことと不幸を振り返ったことの説明をやめ
思うことにまとめて、観る方に委ねてみました。
暦がいかにもな言葉になってしまうかなとは
悩むところですが
実家から自宅に帰り、初昔を…
ということを端的に表せる気がして
再度挑戦してみます。