「幼子の質問を背に大晦日」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
あつこんさん。
ずばりあつこんさんは句を捻らないということをやっている人なんだなと思います。
よし造さんもよくおっしゃいます、実感したなら季語が近くても良いし、発想を飛ばすということは、実感ではないのでは?と。
そういう意味では、あつこんさんの句は、常に日常の実感の句なのだと思います(*'▽')
「夫に添ひ半歩先ゆく花野かな」
「病む友の既読の文字や冬うらら」
「鶏頭の束より小さき祖母の顔」
「石蕗の花父母亡き家の石畳」
こういう句が好きですね。ご家族や友人への想いを素直に詠まれる印象です。
一方で異彩を放ったのは
「法要を終ふる山門冬の山」
この句です。これは、ご家族もなんだったら自分も関わっていない。客観的に法要がしめやかに終わっていく様子を描写したように見えるので、ぐっと想像が広がりました。どちらもあつこんさんの持ち味であるなあと思ったり、法要みたいな句はなお好きだなあと思ったり。これは私の好みでしょうね、あまり人を書かずに人がいることを想像させたくなります。
来る年もいろいろな句を健やかに詠まれること(久田さんの言葉で知った「健吟」)を楽しみにしています。
良いお年をお迎えください(*'▽')
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大晦日のあれこれが珍しい孫は、なに?なんで?と後ろを着いて回ります。
皆様、ありがとうございました。
どうか良いお年をお迎え下さいますように。