「冬の山生き抜くことの厳しさよ」の批評
回答者 ちゃあき
山月さん、はじめましてちゃあきと申します。自分の句を引き合いに出すのは気が引けますが、僕もあなたと同じ様に冬山の動植物たちの暮らしぶりを思って、消えさうで消えぬ命や冬の山 という句を出したのですが、自分の意図と掛け離れた解釈によって撃沈されました。でもイサクさんのコメントを読んで、もし2のような解釈で人生観を象徴したものとして読むならば、拙句の場合も肉体生命は消えても魂は消えずに生き続けているのだという宗教的真理を匂わせる句として読めなくもないなと思いました。しかし俳句では、この手のものは大概失敗するようです。具体的な情景を客観的に描いて哲学的、宗教的な真理を現すことは芭蕉のような天才にしかできないと思っています。古池や蛙飛び込む水の音 僕はこの有名な句には霊的な人生観が背後にある様に思えて仕方ありません。つまり人間を蛙に例えているんじゃないかと。まあ深読みし過ぎかも知れませんが、芭蕉ならそうであっても不思議ではありません。・・・すみません長くなりました。今後ともよろしくお願いします。
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実家から冬山を眺め、その雲ひとつない空青い冷たさと
そこにくっきりと浮かぶ、白い山々の峰の冷厳さが
ぐっと私にせまってくるようでした。
あの何もなさそうな冬の山々の中で
動植物たちは春を待ち、じっと堪え忍んでいるのでしょうか。