「離陸せる冬青空に消失点」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
記念日一句面白い試みですねー(*'▽')
「冬青空に消失点」なかなか素敵なフレーズですね。
初読「消失点」で飛行機の中でなく外から見ているようには読めたのですが、誤読もあるっぽいですね。飛行機だということを詠みたいですが、「離陸せる」は離陸しているところで、そのあと、青空へ消えていく時間がちょっと長めではありますねー。
どちらを解消するにも「飛行機雲」はいいですね。
点数: 1
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
飛び立った飛行機が見えなくなる(遠近法の「消失点」を感じるくらい小さくなる)まで見送る/見届けている景。
「記念日お題で毎日俳句」、今日は「バミューダトライアングルの日」(1945年、米軍の飛行機が大西洋訓練飛行中に消息を絶った日)。記念日自体は、作句のとっかかりなので、この句で“最後の別れ”とか“悲劇の予兆”みたいなことまで込めたつもりはありませんが。
当初、記念日を見て割と直ぐに「冬青空の消失点」という中・下の句を思いついたのですが、上五がうまく収まらず。
「飛行機の」とか「旅客機や」とかだと、大きな機体そのものを真っ先にイメージさせて、「消失点」との対比が大きすぎる懸念。
「離陸して」といった言葉だと、客観的に飛行機を見る側でなく、乗客乗員視点で読み始められて、中・下の句の意味が伝わらなくなる懸念。
「離陸せる冬青空に」とすることで、上五だけでなく「~冬青空」がくるまで読み手の脳内のイメージ化を待ってもらえないかな、という悪あがき。“青空”ならば、機内からでなく、地上から見上げる空。