「霧を纏い泣き濡れてただ泣き濡れて」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
はじめまして、げばげばと申します。
仕事でばたばたしてコメント遅れている間に、2句目も挑戦されているようですが、まずはこちらで。
俳句に挑戦ということで、ようこそです。私もまだ始めて4か月の初心者ですが、このサイトでいろいろ教えていただきながら学んでいるところです(^▽^)/
さて、俳句は叙景詩と言われていますが、今目の前にある思い描いている光景を読んでいる人に再現化して届けられるかという意味で、光景を描写するというのが基本としてあります。そう考えると、「霧を纏い泣き濡れてただ泣き濡れて」であれば、誰かが(おそらく作句者)霧を纏いながら泣きまくっているということはわかるのですが、それ以外の光景が出てきません。どこでなのか、どういう状況なのかなどが説明でなく光景として出てくるといいと思います。
そこで、イサクさんは一人足湯に入っている様子を描いています。
なおじいさんは、向かいの席が二人連れであることだけを描いて、「霧の宿」という季語の力で、作句者は寂しくおもっているのではないか、というところを表そうとしています。泣くとかを使わずに寂しさが伝わるということですね。
このように感情語や感情表現をできるだけ排除して、光景を描いていくのが俳句のまず一歩です(*'▽')
ぜひ、他の方の句を読んでみたり、添削でなくていいので、感想などをおいてみてください。そうすると、いろんな方からコメントをいただけると思いますよ(^▽^)/
点数: 2
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
旅先で独り、湯けむりと冷気を纏った霧の中
足湯につかり、隣にいるはずだった彼のことを想い、ただただ泣きはらした時の心情です。