「面皰を潰せる吾子や蘆の花」の批評
回答者 知世
秋の空の句、そして色葉の句にコメントありがとうございます。
「三年目」はやはり火遊び的なのを想像させますよね。
必ずしも答えが一つでなくてもいいな〜と思いつつ、「それはダメ」と言われた時に示せる一つの方向性として入れてみた言葉です。
そういうのが俳句的にアリなのか分かりませんが。(多分ナシですね)
色葉の方は素で「大鏡」変換ミスに気づきませんでした!「大鑑」ですね〜こういう所が雑なの本当にダメだなあ。
そして流石、これも読まれてるのでしょうか。
「いろはにほへと」に限らず元服前の少年が頻出だからか他の章でも「色指南」的な描写が多くて「いろは」。
ちょっと狙いすぎかとは思いつつ、げば様にもコメントいただいた語感の良さは気に入っています。
そんな大きなお子さんが〜と皆様同様まずそこに驚いてしまいました。
自分の思春期を思い出しても、ある程度育った子供とのほのぼのってあんまりないかも。
でも可愛いばかりじゃなくなってくるとグッと面白みが出てきますね。
我が子可愛やだけだと日記になってしまう…可愛くかつ面白くができる方はすごい。
面皰潰すのも面白いなあと思いました。
成長のイメージとして「葦」はありだけど「葦の花」はどうだろうとも思ったのですが逆に「葦」は付きすぎ?っぽいですね。
例えば「秋の空」だと全然雰囲気が変わってしまうし。
これより良い季語はなかなか思いつきませんでした。
このまま鑑賞させていただきます^_^
点数: 1
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はやさんの吾子俳句いいなあと思いつつ、まったくほっこり場面にはならず。植物取り合わせ句。
うちの前の田んぼでは稲がさやさや。その横の池近くの蘆原がどんどん背高のっぽに。
ニキビを指で潰す思春期の子がいて。
みなさんご意見をよろしくお願いします。