うーん。誤読を招くというより、「秋澄めり」という季語の誤用かと思います。澄み切った秋の空気を愛でる季語ですので。「虹」の本意に希望などが含まれているように、この季語にも爽快さ・気持ち良さが含まれています。
澄み切った空だからこそ、何とも言えない寂しさがあるという感覚は理解できるし、良いと思います。が、この句ではそれは表現されていないかと。季語の連想とは真逆のイメージを持つ感情を取合せるというのも良いのですが、結構技術・配慮が必要な高等技だと思います。澄み切った秋と何とも言えない寂しさの対比が際立つ工夫も足りてないかと感じます。
「秋曇り」「秋湿り」などを避けたのは良いと思います。(それだと全然ダメ)
長谷機さんのおっしゃる上五・中七のリアリティのなさも気になりはしますね。実景であるにせよ、切り取りの場面がドラマやアニメで散々やりつくされた映像なので、ドラマ仕立て感、ベタ感は否めません。(そこに、秋湿りとか持ってきたらさらにめが当てられません。)
・澄み切った空により際立つ、底知れぬ寂しさ
・死んだ学友を思わせる教室の描写(机に花という(イジメの印象もある)ベタな演出によってしまう)
これを一句にまとめ上げるのはなかなかの難題ですね。(どちらか一方でもめっちゃ難しい)ちょっと、描写だけでクラスメイトの死を伝えるのは諦めた方がいいかも知れません。ちゃんとそれとわかるようにストレートに言った方が。
言いっ放しは何なので、提案句無理くり出してみましたが、難しすぎます...
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釈迦牟尼とかじゃなく原点に立ち返って光景と季語と気持ち。クラスメイトが教室からいなくなったあの日の句。
みなさんご意見をよろしくお願いします。