「伊弉諾は黄泉より走る鳥渡る」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句、ほー、面白い。
黄泉から逃げ走るイザナギの方の視点から詠んだのですね。
たしかに、こうすると、変わり果てたイザナミから逃げ、桃の実を投げつけ、大きな岩で塞いで、やっとの思い出逃げてきた現世で見る渡り鳥。かなり面白いですねー(*'▽')
そのときから、イザナミは怒って、一日千人人が死に一日千五百人人が生まれる世になったという。
しかし、そんなことがここであったのではと思う場所でしたね、比良坂は。
ということで、素敵な取り合わせでしたー(*'▽')
点数: 1
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
今週は(平日はちょいちょい見るだけの人間です)、古典を扱う句が多かったなあ(防人歌に記紀神話に和気清麻呂…)、というのと、アンサー句というか、句意の異なる提案句を別立てで、というのもいくらか見られたところ。
そこで私はげばげばさんの「比良坂ゆけば」句から。げばげばさんの句は視線が黄泉の国に向いていますが、これを逆向きに黄泉の国(死の世界)からこちらの世界(生の世界)へ向かうようにすれば、お題「渡り鳥」(鳥渡る)を措けるのではないか、というのが最初の発想。黄泉比良坂という場所の実景がどんなのかは私にはイメージがないので、伝説に借りて、イザナギがイザナミの追っ手から逃げる様にしてみようと…
鳥渡る黄泉比良坂逃げおほす
と、考えてみたものの「黄泉比良坂」できっちり七音使ってしまって、まるで三段切れとなる。ここで「黄泉比良坂」にはご退場願って、イザナギにクローズアップ。げばげばさんの句からは随分離れてしまいました。