うつくしき猿の腰掛剥ぐ媼
回答者 イサク
こんばんは。
「奉ずる」が気になるという意見がいくつか出ていますが、私も同意見で・・・
「誰に?」「どこに?」という推測のできない、映像のない動詞になってしまって・・・
句の主役の話も、散文調の話も、他の方から出ていますね。
そのままの句意で作り変えるのが難しそうです。
安直ですが「老女」「猿の腰掛」とりあわせの別案で提案句・・・
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作者 知世 投稿日
回答者 イサク
こんばんは。
「奉ずる」が気になるという意見がいくつか出ていますが、私も同意見で・・・
「誰に?」「どこに?」という推測のできない、映像のない動詞になってしまって・・・
句の主役の話も、散文調の話も、他の方から出ていますね。
そのままの句意で作り変えるのが難しそうです。
安直ですが「老女」「猿の腰掛」とりあわせの別案で提案句・・・
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回答者 げばげば
こんにちは。
いつも深いコメントありがとうございます。
デリーの句、コメントありがとうございます。
もう少し秋刀魚で粘ってみようと思いつつ、哀切も類想ありありなんですよー。秋刀魚焼いているのは実景ではなく、義兄のデリーは事実で。兄の左遷に秋刀魚焼くはどう響くかをやってみたかったんですが、「左遷」って言葉は確かに義兄の主観だか
ら「異動辞令」くらいがいいのかなと思っています。そうすれば秋刀魚に託せますね、すべては。勉強になるなるー。
さて、御句。猿の腰掛のつるつる具合に感動して、それを老婆につなげていくのが面白いなー、知世ワールド。腰掛っていう言葉と老婆もなんか響くー。例によって老婆メインの句ではありますけどねー(*'▽')もうわかっててそうしてますもんねー。
「奉ず」というのがいろいろ気になる動詞。
誰に捧げているんだろう。お地蔵さんや神様にお供えしてるのかなあ、村の長老とかに、今日こんなつやつやの腰掛が獲れたのですと捧げてるのかなー。または、誰かに渡すでもなく、ただ、老婆がつやつやの腰掛ですーと自然の恵みをうやうやしくも畏れ多く持って掲げているのかなー。とか、いろいろ想像して「奉ずる」の幅を楽しみました(^▽^)/
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回答者 卓鐘
全体的に散文の印象と老婆の姿になってしまっており、季語が生きてきてないように思います。理由は、「を〜老婆かな」で1枚の猿茸を捧げている老婆の姿の映像になっているから句として平坦な感じを受けるからだと思います。主役とすべき「猿の腰掛」がとても小さくて、全体の老婆の姿だけが目の前にありまる。
「奉ずる」もいろいろな読み方ができるというより、幅が広すぎて焦点が定まらない効果になっていると僕は思います。
奉ずるという動作をもう少し丁寧に描写するか、具体的な場所を出すか、何か状況がイメージしやすいものを出してくるか、いろいろな方法があると思いますが「かな」の詠嘆ではなく句が表現する映像に動きが欲しいと思いました。
また、平坦な散文の印象をうけるもう一つの理由がリズムであると思われます。
猿の腰/掛を奉ずる/老婆かな ではなく 猿の腰掛を/奉ずる老婆かなと読みたくなるので、韻律の調べがなくなってきました。
提案句では、「猿の腰掛」を上五において、その後に調べをなだらかにし、老婆の手に焦点を絞っていくことで動きを与えてみて、掌にupをすることで「猿の腰掛」も同時に最後に映ってくるそんなことを試みてみました。
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回答者 なお
こんにちは。知世様、いつもお世話になってます。
いつも拙句にコメント有難うございます。
御句、うーん、情景が浮かびません。提案句を考えるにも、
・奉ずるの意味もわからず添削す
の世界です。
また、「老婆」という言葉は個人的にあまり好きではないので、「婆様」と言い換えました。音数の関係もあり「ばさま」と読みます。これも「婆」という字は入っていますが、「様」も入っていて敬意を表しています。
そして「奉ずる」は、意味がわからないままに「奉納す」とさせていただきました。地方のお年寄りは、地元の初物が収穫できた時には、氏神様とかに奉納するのではないかと思ったからです。
わからないままの提案句ですが、知世さんワールドに少しでも沿っていれば幸甚です。
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
「猿の腰掛」歳時記に秋の季語として載っていたのですが、今日はじめて生えたてみたいなツルツルした猿の腰掛を見て(カサカサしたのは何度も見ている)本当に今がシーズンなんだ!と感動したので作りました。
おそらく今までもそこら中に生えていたのでしょうが気づかなかったんですよね。
俳句のお陰で物事を丁寧に見る目が養われているなと。
「奉ずる老婆」特に「老婆」は再考の余地ありですね。
こういうことするのはやはり年寄りで、女性かな〜という偏見。
今この時も歳を取り続けてる女として、いずれ(既に?)自分もこういう目で見られるのだなあと自分の偏見に自分で傷つけられたりも。脱線しましたが。