朝まだき雨のひそかにおく秋よ
回答者 幸福来々
『秋刀魚』の句のコメントありがとうございます!
母の話に笑ってもらってうれしかったです!
言葉の勉強は楽しいですよね!
本句ですが、私は「夜の間に雨が涼しさや銀杏の葉など秋が深くなったと感じるものをおいてくれていた」と読みました。
なので、秋の雨の日の一日の期待感みたいなものをこの句から感じました。
他の方のコメントにあるように、主語が季語以外の場合の動詞で着地は難しい場合が多いです。
「雨が秋を置いた」となっているので、『雨』が主役に感じてしまうからです。
なので、主語が季語以外の場合は、季語の体言止めを意識すると俳句っぽくなります。
この句でいうと「雨が置いた秋」とすると、『秋』に焦点が行くため、主役は『秋』になりますよね。
あと、これはもう趣味趣向の話かもしれませんが、上五に『朝まだき』というちょっとゆとりのある朝の表現するのであれば、中七下五の助詞は省略しない形の方がいいと思います。
句全体で見た時のゆとりの統一感が生まれます。
結構俳句って助詞でゆとりができるので、句を構成する要素が少ない場合は意識した方がいいかもしれません。
点数: 2
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今朝を詠んでみました。
どうしても自然を詠むと、陳腐になります。
私の技量では。
かといって皆様のようにサンマは読めません。
秋刀魚は秋刀魚、
あくまでを食材としてしか見ることができません。
身についたしみの様なものでしょか。
秋刀魚が、句材として昇華する日がくるでしょうか?
いつまでも消化だったりして(^。^)