度々すみません
回答者 雨々
書き忘れたことがありました。
上五の「新涼や」について。
秋に入ってから感じる涼しさのこと。「涼し」だけでは、夏の季語となる。夏の暑さの中
で感じられる涼しさではなく、「涼しく過ごしやすい季節」になってきたことをいう。
また、
立秋を過ぎてもまだまだ暑い日が続く。そんな中で時折涼しい風が吹いたりすると、
「ようやく秋らしくなってきましたね」などと言い交わす。その気分が「新涼」である
とのこと。
ここから考えますと 夏の気配の残る秋の涼しさ、「麦茶」の存在価値としていい感じです。
しかし、何でしょう、少し居心地が悪い。
もう一度 句をよく読んでみますと、問題は「飲み残し」にあると気付きます。
「新涼」とは、言葉の響きそのものもあるとは思いますが、
とても清らかで凛とした、爽やかなイメージです。
それと「飲み残し」から漂う生々しい生活感が相容れないのでしょう。
(ときおり そういった組み合わせのギャップで大成功している句にも出会いますが
それはまた別のテクニックやら大変な話だと思います。)
ということで この句には「新涼」とそのまま掲げるより、新涼の傍題である「秋涼し」を使うことを提案します。
生活感との違和感が少し解消される響きではないでしょうか。
点数: 4
添削のお礼として、雨々さんの俳句の感想を書いてください >>
涼しくなり、麦茶を飲む量もぐんと減りました。お湯のみに昨夜の飲み残しが残っています。
この夏 麦茶ばかり飲んでいたので、麦茶が一番ピッタリするのですが、秋と夏の季語が入っていてやはり問題でしょうか。季節も夏と秋の境目なので、季語も混在して構いませんか。
「そこからですか」と笑われそうですが、思い切ってお尋ねします。本も読んだのですが、いざ実践となると分からない事が多く戸惑っています。もうひと頑張りするために、添削して頂けたら嬉しいです。よろしくお願い致します。