「白日傘雨をはじきてをりにけり」の批評
回答者 卓鐘
ムスリムの句にコメントありがとうございます。
■コメントに対する返信(長文ごめんなさい。。)
「散文的・説明的・報告的」が恣意的なのはその通りです。「季語が生きている」も恣意的です。まぁ、誰の目にも明らかなものから、俳人(一定レベルの俳人のことをそう書くことにします)から見れば明らかなもの、俳人の間でも意見が分かれるもの、いろいろグラデーションはあると思います。
が、それもこれも恣意的です。芸術というものは須くそういうもので、時代によっても変わってきますね。だから、分からないながらも、考え続けるしかないです。
一つ言えるのは、自分の句の最大の理解者は自分だし、その面白味が分かるのも自分。なので、かなり目が曇ります。僕は、納得できない指摘でもそう思われる原因がどこにあるかは考えるようにしてます。(指摘者の鑑賞力不足と思っちゃう時でも、その心はどこにあるか、今の自分の実力でできる範囲で考える。でも考えた結果わからないこともあります。というかその方が多いです。)
説明的・報告的・散文的どれもこれも、そう指摘されるには、その指摘者にとっては詩の質量がない/足りない・損なっていると感じられているから。その理由を良し悪しとは別に考えるようにしています。
もう一点だけ。「海見ゆる」これだけでは、説明的・報告的かどうかはわからないですね。そうなこともある、そうでないこともある。一方「海が透く」は明らかに描写の言葉ではありますね。なので、失敗のリスクは「海見ゆる」の方が高いわけです。全ては文脈ありきのケースバイケースですね。
ただ、失敗ばかり恐れていてはそれこそつまらない句しかできません。
■ムスリムの句について
甘酒の句になってない。その通りだと思います。甘酒を読み込んでない。むしろあれはムスリムがいる浅草寺の句です。なので無季の句としてもらってもOKです。そういう意味で、無季というタブーを犯してますね。わりと承知でやりました。自分では、タブーであっても、その状況こそに詩情があり、焦点はボケてないと判断した結果投稿したわけですが、周囲の評価はそうではないという事実があります。さて、どう消化しようかなぁ。(多分、これも自分が思うほど面白くないというやつです。)
■御句
「をりにけり」は、おかしいと思います。「をり」(〜している)「にけり」(〜していたのだなぁ、〜したのだなぁ)なので、「白日傘は、雨を弾いていたのだなぁ」という意味になって、例えば、軒先か何かが傘の形の分だけ濡れいていない。あ、そういえばさっき、白日傘を差している女性がいたなぁ。あーそうか、あの日傘で雨を弾いていたのだなぁ。
こんな意味になりますが、これが言いたかったことでしょうか?
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この時期、にわか雨がよくありますね。