「車窓から潮の匂いとあの子の香」の批評
>凍蠅よ生産性の我にあるか」という句があったと思います。
>この生産性の我にあるかの「の」はどう合う意味でしょうか。
(正しくは「我にあるや」ですね。)
助詞は本当に難しくて奥が深いんですよ。
質問された立場でこんな事言うのも申し訳ないんですが、助詞というのはあまりに深すぎて、それらが持つ働きの違いをキレイに説明する事はかなり困難です。
なので、助詞を考える時は並べて比較してみるのが一番手っ取り早いです。
生産性の我にあるや
生産性は我にあるや
どうでしょう、表面的な意味合いは殆ど変わっていないように見えますが、細かいニュアンスがビミョーに違って見えませんか?
もし今の段階で違いが分からずとも、とにかくたくさんの俳句
を鑑賞していく内に、徐々に分かってくるようになります。
>御句も猫の平然についてお伺いします。
>これは、猫の平然とした姿という意味の省略形でしょうか。
省略形…というのも少し語弊がありますね。
「慰霊の日のサイレン」という事象に対し、「猫の平然」という事象が重なっている…とでも言いますか。
これも僕のボキャブラリーの都合で上手く言語化出来ませんが、とにかく白南風さんなりに考えてみてください。
俳句という文学において、作者が用意した句意なんていうのは、ある意味どうだって良いんですよ。全ては読者にどう解釈されるかです。
たくさんの句を鑑賞する内に「作者はこういう意図でこの助詞を選んだんだな」というのが分かってきます。それが成功している句であれ失敗している句であれ。
そして鑑賞の注意として、十七音をただ流し読んでいてはいけません。鑑賞とは、作者が十七音に込めた思いを読み解く行為です。
仮に作者の込めた句意と違う方に受け取ったとしても、自分なりの解釈を見つけていく事がとても大事です。
他人様の俳句を詠み、自分なりの解釈を見つけ、その上で自分だったらどう詠むかを考える(添削
)。これを繰り返していく内に、俳句の感覚が研ぎ澄まされていくはずです。
道のりは長いですよ、頑張って下さい。
添削のお礼として、秋沙美 洋さんの俳句の感想を書いてください >>
先程の句は中8でした。。
想いを寄せていた人たちは、大体すれ違っただけでもいい匂いのするような人ばかりでした。