「石舞台落花の中に鎮まるる」の批評
回答者 北野きのこ
雪柳さんこんばんは。
句の感想を述べさせて頂きます。
よろしくお願いします。
春の石舞台古墳の周りには桜が咲いているのですね。
随分前に私が訪れた時は春では無かったため、桜のイメージは全くありませんでした。
古跡と桜の風景はさぞ印象的でしょうねぇ。
行ってみたいな…と思わせる句ですね。
句を読ませて頂いて迷いを感じたのが「鎮まっているのは誰なのかな?」という点です。
具体的には「石舞台が鎮まっている」のか「私(作者)が鎮まっている」のか。
雪柳さんの意図はどちらでしょうか?
掲句には以下の様な切れが生じていると思います。
石舞台/落花の中に鎮まるる
この切れの効果により、読み手の脳裏では
石舞台古墳の風景
→落花とそこで鎮まる何者か
という場面展開が発生すると思います。
私はこの様に読み、石舞台古墳を訪れた作者が心穏やかに美しい景色を眺めている様子を想像しました。
「石舞台」「落花」「作者」と役者が次々に現れるので少し慌ただしい感じがしたかもしれません。
もしも鎮まる主体を石舞台古墳に想定しているのであれば、石舞台の描写を中七で隔ててしまうのは得策でないと思います。
意図が読み手に伝わりにくいですし
石舞台→桜→石舞台
と視点が定まりません。
私は悠久の時をジッと動かず過ごす古墳と「落花」という動きを持つ季語の対比を前面に出してみたいと思いました。
鎮まれる石舞台へと飛花落花
掲句の「鎮まるる」は誤りだと思う…のですが、私も文法は非常に苦手な分野なので強くは言えません。
間違いでなかったらごめんなさい!
以上です!
点数: 1
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奈良に旅行したときに石舞台にいきました。その時の感動00詠んでみました。添削宜しくお願いします、