「廃線のトンネル抜けて冬紅葉」の批評
回答者 平果
添削した俳句: 廃線のトンネル抜けて冬紅葉
悲愴感の強い句ですね。
役目を終え、もう電車を通すことのないトンネル。その先に見えるのは、僅かに残る傷んだ葉...。この葉も既に役目を終えて、後は散るばかり。その鮮やかさが最期の輝きのようで、かえって物悲しさを募らせますね。
中七の「トンネル抜けて」は、次に来る言葉が何なのか期待を募らせる、良い表現だなと思いました。
点数: 1
回答者 平果
添削した俳句: 廃線のトンネル抜けて冬紅葉
悲愴感の強い句ですね。
役目を終え、もう電車を通すことのないトンネル。その先に見えるのは、僅かに残る傷んだ葉...。この葉も既に役目を終えて、後は散るばかり。その鮮やかさが最期の輝きのようで、かえって物悲しさを募らせますね。
中七の「トンネル抜けて」は、次に来る言葉が何なのか期待を募らせる、良い表現だなと思いました。
点数: 1
回答者 平果
添削した俳句: 夢にみし記憶に残る蔦紅葉
夢の中だったにだろうか、どこかで確かに見たのだが、それは思い出せない。ただ、あの蔦紅葉の鮮やかさは今も胸に残っている...。木々を這う蔦紅葉の暖かな赤は、句に留めたくなる景ですね。
貴句では、働きの薄い「記憶に残る」に七音を割いているのが勿体ないと感じました。「記憶に残る」を省き、何か別の要素を足したいと思い、「どこで見たのか分からないけど、鮮烈な印象のある蔦紅葉」について、もう一つだけ覚えていることがあるとしたら、それは何なのだろうか(或いは、何であれば句としてまとまるだろうか)と考えました。その結果、一緒に見た相手がいいのではないかということになりました。
いつ、どこでだったかは分からない。けれど、あなたと蔦紅葉を眺めたことだけは覚えている。いや、それさえも夢だったのかしら...。
変に甘ったるいだけの、昔の安っぽい歌謡曲みたいになっちゃいましたね。本当に失敗です。もっと景を描くべきだと反省してます。
点数: 1
回答者 平果
添削した俳句: 木枯らしやクラシカルな不協和音
追記、失礼致します。
「クラシカルな」が六音なのは、「不協和音」が六音だからなんですね。「不協和音」は、あまりに座りがいいので五音だろうと疑いもしませんでした。一句として十七音になるように「クラシカルな」にしたのですね。
点数: 1
回答者 平果
添削した俳句: 木枯らしやクラシカルな不協和音
木枯らしに耳をそばだててみたくなる句ですね!
「不協和音」は、不安を掻き立てるような木枯らしの音を、格調高く言い表している語だと思います。この語のみだと暗さのみが前面に出てしまうところを、「クラシカル」で形容したのは素晴らしいと感じました。カタカナ語と四字熟語との軽重の対比も面白いですし、なにより「クラシカル」とすることで、どこかで聴いた音・知っている音・馴染みある音というような意が生じ、「不協和音」の不安もどこか和らぐように感じられる点がいいですね。
「クラシカル」は軽さがいいので、貴句の通り「クラシカルな」と現代語にするのが最適だとは思うのですが、どうにか七音にしたいと思い、「クラシカルなる」を考えましたが、やはり少し重たくなりますね。
点数: 1
回答者 平果
添削した俳句: 遮断機の降りて足踏むそぞろ寒
実感を伴って理解できる句ですね!
早く我が家に帰ってゆっくり温まりたい、この踏切を渡ればもうすぐそこだ、という時に、無慈悲にも降り来る遮断機。ちぇっと舌打ちの一つも出したいところだが、電車のダイヤに怒っても仕方なし、ただ黙して足踏みをし、暮れる秋の寒さに堪えている...。
足踏みの動作が、遮断機への腹立ちを紛らすものであったり、体を動かして冷えないようにするものであったりする点が面白いですね。
点数: 0