「ガラス無き廃屋あるやクリスマス」の批評
回答者 感じ
添削した俳句: ガラス無き廃屋あるやクリスマス
こんにちは。凡空です。
さて、御句。
景が見え、よいと思います。さらに、クリスマスの賑やかさとの対比よって、寂寥感が一層。
ただ、無きの、漢字表記が気になって、ガラスなき、と書いてみたのですが、ガラス、と、廃屋、がピッタリせず。
そこで、玻璃戸なき廃屋あるや、かなとも。
そうすると、クリスマスのカタカナ表記がうくので、聖誕祭、の漢字表記があうと。
しかし、これらの措辞の置き方がわからなくなり、
後ろにぽつんと置くのも、どうかなとも。
聖夜の星、ぐらいかなとも。と書きながら、考えてるんですが。^_^
で、提案句
玻璃戸なき廃屋あるや聖夜の星
玻璃と星が、微妙に響くのかなと。
わたしの力量では、ここまでですね。
ところで、わたしも暗中模索で参加させてもらっており、初心者ながら、考え感じることを述べるだけで、自分の勉強にもなるし、うまい方には、「いまさらそんなこと」を、かもと思いつつ、参考になることあれば、それはよいと。
で、まず、行動が大事と。うまくなるまで待つとか言っても、境目はなく。めでかやさんのコメントはありがたく思います。
で、俳句のきっかけ。昔、知り合いが、歳時記ぱらぱら、うーむ。詩を作るのに、調べものか〜と。
そのうち、ランボー読んで、いわゆる現代自由詩に入っていって、言葉を使ってつもりが、ふと、それが苦痛になり、言葉が俺を苦めてるとぎづき。ここで、終りだなと。
某テレビの俳句コナーみても、ふーん。ある時、ネットで虚子の、秋風や皿の上にもち三つ、みたいのがあって、それで、何?と思って、閉じようとした瞬間、「去年今年つらぬく棒のごときもの」(表記は違うかも)を見つけ、ガビョーンと。歳時記パラパラ、も、いただきました、もどうでもよくなり、今に至る。長くなりました。
今後ともよろしくお願いします。
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