「山茶花や何時とも分かず庭隅の」の批評
回答者 感じ
こんにちは。拙句、寒卵の籠から、、へのコメントありがとうございました。
この句の意図は、なんでもないような事を詠んで、はっ?それで、のような印象を読み手に与えらたら、というものでありました。しかし、溢れ、にすでに詠み人の感情が入っていますね。難しいものです。
さて、御句。
感情の言葉を入れず、とありますが、山茶花や、の、や、は感情の言葉ではないでしょうか。
それはさて置き。
上五に、山茶花や、とすると、読者の脳には、山茶花の映像がボンと焼き付けられます。
そうすると、中下で、表現される、時間場所は知らないけど、のようなニュアンスが減殺される気がします。つまり、句意の、淡々といつも変わらず、が表現しきれない気がします。
山茶花は、下五に持ってきてはどうかと。
庭隅にいつとも知らぬ山茶花かな
文法的にどうなんでしょうか。
よろしくお願いします。
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山茶花は忍耐の花。淡々といつも変わらず咲いています。感情の言葉を入れず目の前の情景だけで詠むことを心がけましたが。