「虚子いわく景七情三春うらら」の批評
こんにちは。
名前が出てきたのでいちおう、「春うらら」に対する最近の自分のスタンスを(この句のツリー以外は、コメント全部は読めていません)
2024年春、現時点での個人の感想です。
★「春うらら」は、季語
としての歳時記
収録は確認できていない
★「春」「うらら」で季重なりである、という俳人(選者)は複数存在している。私も基本的にこの考え方です。事情を理解せずに適当に使っている人には教えてあげないと!というお節介精神が働きます
★「春うらら」の状況や意味を理解した上で、新しい季語にするんだ!という意思があって使っているならば反対する立場ではないです。新しい季語ならば受け入れます
★インターネットのホームページのような「誰が書いたかわからない」ようなサイトは基本的に参考にしてもすぐに信用はせず、必ず別の方法でウラをとります。意図的に嘘をついているわけではなくても、勉強中の素人さんが思い込みで書いているHPは多数あります(俳句
に限らず)
伝統俳句協会などの公式HPや、俳人・研究者が名前を出して自分の立場をはっきりさせて書いているサイトなど、信頼しているサイトはありますが、それでも無条件ではないかな・・?
★「春うらら」の形で先人が使っているケースがあるのも知っています。が、【過去に使っている人がいるからOK】などという安易な判断はしない(「春うらら」に限らず)。
自分が自分の意思で季語(今回は「春うらら」)を使ったなら、他人や先人のせいにしない
という感じですね。
なので、
◆「春うらら」を季語と思い込んでいる人がいたら「今のところ季語とは認められていないようですよ」と言いつつ「季重なり」を教え
◆それを見ている初心者さんたちに「まだ季語にはなっていなくて、使ったら注意されることもありますよ」と啓蒙し
◆「歳時記をチェックしましょう!」と声をかけ
◆もっと良い季語があるかも?と促し
◆インターネットの情報は間違っていることもあるので気を付けて!と言い
今はそのようなスタンスかな?
なので御句、誰のコメントもない状況なら【「春うらら」の形では季重なりです!歳時記を見ましょう!】とお節介に口を出します。
今の流れだったらそれよりも「イサクのコメントを信用するな!必ず裏をとって!」と言いますね(笑)