「梅が香にいま恍惚の迷子かな」の批評
添削した俳句: 梅が香にいま恍惚の迷子かな
こんばんは。
◆散文感と因果。「に」「いま」などが障って「かな」構文を合わせにくい内容と形だと思います。
◆「恍惚の迷子」という言葉にこだわりがあるかないか?正直、映像に加点要素のあまりない言葉なので、勇気ある撤退もご検討を。
・恍惚の迷子となりぬ梅が風
点数: 2
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添削した俳句: 梅が香にいま恍惚の迷子かな
こんばんは。
◆散文感と因果。「に」「いま」などが障って「かな」構文を合わせにくい内容と形だと思います。
◆「恍惚の迷子」という言葉にこだわりがあるかないか?正直、映像に加点要素のあまりない言葉なので、勇気ある撤退もご検討を。
・恍惚の迷子となりぬ梅が風
点数: 2
添削した俳句: 残雪の小さき手形固まりぬ
おはようございます。
映像は見える句です。
◆「残雪」は仲春の季語のため「固まりぬ」とやや相性がわるいかもしれませんが、無理ではないです。
◆私は「手形」にどうしても経済用語を感じてしまうので、このままでも誤読はしないのですが、言い換えたくなりました。
◆句の調べがやや間延びしているので、切れを入れたくなりました。
「小さき手の跡」「ちさきてのあと」で七音です。
・残雪や小さき手の跡固まりぬ
点数: 1
添削した俳句: 足跡が知ったかぶりの炬燵猫
こんにちは。はじめまして。
「五七五で季語ひとつ」という条件が守れている最初の投句がこれですかね。
◆平凡とは言えない句ですね。
◆ひとつひとつの言葉の意味やつながりは理解できる句です。
◆いるか様から先に出ていますが「足跡が知ったかぶり」をどう解釈していいかわからず、そこで解釈が止まってしまう句だと思います。
句の構造上「猫の足跡が知ったかぶり」ということだと思いますが、やはり解釈ができませんでした。ここ説明可能でしょうか?
◆季語「炬燵猫」とは、屋内の炬燵で暖をとっている猫。動きがかなり少ないわけですが、この句で見ている「足跡」はいったいどこにあるんでしょう?
ということで「平凡ではない」ですが、「受け手として句を読んだときに想像が追いつかない」という句だと思いました。
「え、どういうこと?」となる句は、その「どういうこと?」がいいと言う人もいるので、ダメとは言いませんが、なかなか・・
・炬燵猫知つたかぶりの顔である
点数: 0
添削した俳句: 荷を胸に目をつぶる人春の昼
再訪です。
少し時間があいてコメントが流れにくくなったので、あらためて説明しに来ました。
ひとつ誤解というか、
私は「一人称」を提案したつもりはありませんでした。
【荷を胸に目をつぶりをり春の昼】
(あの人は)荷物を持って目をつぶっているなあ/春の昼
という三人称の主格省略、で受け取れる形だと思っています。
省略している都合上、「自分が目をつぶっている」と受けとるのもアリではありますが、この句を「一人称」というのは少し違うのはないかと。
ちなみに、「俳句は一人称」という言い方、語弊があるので自分は苦手なんですよね・・句の中の動詞の主語を自分にするべきだ、と勘違いする方がいらっしゃるので。
わかりやすいところでは、芭蕉の句
古池や蛙飛びこむ水の音
閑さや岩にしみ入る蝉の声
夏草や兵どもが夢の跡
荒海や佐渡に横たふ天の川
芭蕉本人が「そう感じた」ことが俳句になっていますが、いずれも自分を主語としていません。
自分を主語にしている句もありますし、それぞれです。
点数: 3
添削した俳句: 義理チョコの甘さそこそこバレンタインデー
こんにちは。
当日までコメントをせずに残しておきました。
他の方のコメントを拝見したところ、やはり義理チョコの甘さはみなさまそれぞれのようです。
「甘さそこそこ」と答えを言ってしまわず、それぞれが心に持っている甘さを想像してほしいと思いました。
・義理チョコの甘さのバレンタインデー
点数: 1