俳句添削道場(投句と批評)
イサクさんのランク: 師匠2602段 合計点: 7,923

イサクさんの俳句添削依頼

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寒空の彼は飛行機か明星か

回答数 : 7

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いつ見ても濁る側溝寒雀

回答数 : 36

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近所より二人寄りけり焚火して

回答数 : 38

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星とんでデパートの灯の消える夜

回答数 : 17

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深き夜のエントランスの茸かな

回答数 : 25

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イサクさんの添削

「春の夕自転車を置く河川敷」の批評

添削した俳句: 春の夕自転車を置く河川敷

こんばんは。
選はそれぞれの句歴・師匠筋・伝統か革新か・好き嫌い、などでかなり違うので(この道場でも同じ句が褒められたりそうでなかったりしているので、わかると思います)選の入らなかった理由はなんとも言い難いところがあります。0点句の理由を伝え合うような句会もあります。

句歴の短い人や鑑賞の浅い人も集まるため、「新しい表現」「共感」「丁寧な句」「ミスがない」などわかりやすく美点を持つ句に選が集まる傾向はあると思います。選句数の縛りもあるので良い句だが低得点、というケースもあり、なんとも言えませんが、少しでも、ということで。

◆春の夕自転車を置く河川敷
 風景だけで終わっており、作者の感慨(作者が感じた感慨&作者が読者に与えたい感慨)がどこにあるか掴みにくい句です。「置く」が自分の動作のため、報告に見えやすくなっています。季語「春の夕」が単なる場面設定になっている上に、「春の夕べって情感があって良いでしょ?」という作為も感じます。「夕」の情報が要るかどうか?たとえば「初蝶や自転車を置く河川敷」などなら?

◆山麓の茶園の縞に霞かな
 季語「霞」よりも前半の風景に句の重心があり、それを「に」で場所説明としてしまったため、「霞」がかなり軽いです。他の季語でもよさそうな句になってしまいました。たとえば「山麓の茶園の縞に落雲雀」でもあまり句の風景が変わりません。「茶園」は要るとして「山麓」を言う必要があるかどうか?「縞」という表現は適正か?「霞」を本気で使いたいのか、別の季語でもいいのか。

◆特急の過ぎて向かひに菫草
 電車が過ぎたから見えました、という因果・作為・時間経過の気になる句です。一見テクニカルに見えますが、上級者は好まないかも。この句も上五中七が重くなっており、季語「菫草」が野に生えている他の可憐な花に置き換わっても句意が変わりません。

◆春服やこけし三つのすまし顔
 「春の服装」という季語に、いちおう人形である「こけし」をクローズアップした理由がつかめませんでした。こけしに春服を着せた、と言いたいのかなあ?と疑問が湧きます。「三つ」という数詞の効果もいまいちつかめず、音数合わせのようにも感じました。

こんな感じでした。
選に取られた句や、他の参加者の方々の句がわからないので、正解ではないかもですが。

点数: 4

「春泥を飛び越えてなほ泥の道」の批評

添削した俳句: 春泥を飛び越えてなほ泥の道

こんばんは。

先に出ている晩乃様の「【春】泥じゃなくてもいいのではないか」が当を得ているのではないかと思います。

春泥の本意には「冬の間は感じなかった泥への感慨」があります。
凍解、雪解、春の雨のどれでも良いですが、凍解・雪解の光景が詠みやすいと思います。北国にお住いのあらちゃん様はもっと季語に寄り添えると思います。

・春泥を飛び越えてなほ春の泥

点数: 2

「もう好きと言えない二人鳥曇」の批評

添削した俳句: もう好きと言えない二人鳥曇

こんばんは。

「二人」のうち片方は自分と解釈しました(二人とも自分ではないという解釈も可能です)。
◆自分ではない人の心情を「好きと言えない」と言い切っています。その現実感の無さが、景を妨げている気がしています。
 恋愛小説・マンガなら「神の視点・神の把握」や「物語の主体の交代」がありますので、読者は他人の心情もわかりますが、それは俳句の観察・客観とは違いますね。
 (わからないことを言い切って詩を出す方法もありますが、そういう構成の句ではないようです)

ということで、自分ではない登場人物を省略してみます。

・もう好きと言えなくなった鳥曇

風景を「鳥曇」に託して自分の心情なのでこれ以上の景を足すかどうか?はありますが、
景を出すというなら自分を振り返りますか?

・もう好きと言えない自分鳥曇

ちなみに、コメントの言葉の方が好きですし、わかりやすかったです。お借りします。

・あの恋は幻だった鳥曇

点数: 3

「オオバンの群れや揺蕩ふ花筏」の批評

添削した俳句: オオバンの群れや揺蕩ふ花筏

こんばんは。

◆まず季重なりを指摘させてください。
 「鷭」「大鷭」は夏の季語です。
 仮に敢えての季重なりだとして、「水に浮くもの同士」ではちょっと効果が薄いかな?と思います。
◆「花筏」は水に浮いている花びらの季語。水に浮いているものに「揺蕩ふ」という説明描写は、効果が薄いように思いました。

季重なりを解消せずに行くなら両方主役で、位置や影響の関係を明確にして詠んだ方がいいかな?とは思います。あとは「群れ」まで入れられるか・・・

・大鷭の群れに崩るる花筏

点数: 1

「空の色忘るるほどの野蒜の野」の批評

添削した俳句: 空の色忘るるほどの野蒜の野

こんにちは。
>「結果は自分で確認したい人もいるから、あまり自分で明らかにしていない場合は個別にお祝いを言わない方が良い」
これ私の言葉だと思いますけど、一部違ってます。

★結果を自分で確認したい人もいるから、まだ本人が知らないかもしれない状況では慎重に。本人のスタンスがわからないなら避ける★
という感じですね。個別かどうかは関係ないです。

「一生に一度の天を、自分で知る機会を奪われた」と言う人も過去にいました。それだけセンシティブにとらえる方もいます。

句友同士では「本人コメントまで公の場でその人の結果を言わない」「おめでとうが言いたい欲は、本人コメントまで我慢」がマナーになっています。

私やげば様は、句友から結果が伝わっても平気ですし、句友たちにも「うっかり言ってしまっても気にしないでね」と言ってますので、私らへの必要以上の配慮は不要です。そういう考えの人が多いとは思うのですが、それでも「おめでとうが言いたい欲」は一瞬冷静に立ち止まってもいいかな?とは思います。

さて前置きが長くなりましたが、掲句について。

◆着地の「野」が気になります。
 「野」に着地してしまったため、句の風景が地理季語的になりました。季語「野蒜」でなくてもあまり景が変わらない句になってしまったような?
たとえば「空の色忘るるほどの若菜の野」とか。
 別の季語で例えれば、稲(植物)の句のはずが秋の田(地理)の句になってしまったみたい、と言えば伝わりますか?

季語「野蒜」が他の季語に動きにくい句にしたいところです。

・空の色忘るるほどの野蒜かな
・空の色忘るるほどの野蒜摘む

点数: 5

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