俳句添削道場(投句と批評)
イサクさんのランク: 師匠2418段 合計点: 7,371

イサクさんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

行く秋やねこにフェンスのすきまあり

回答数 : 28

投稿日時:

仰ぎ見る天の方向墓参

回答数 : 47

投稿日時:

嘘つきと言はれて秋は深まれり

回答数 : 49

投稿日時:

困難も苦難も句材俳句の日

回答数 : 18

投稿日時:

淀川を歩いて渡る秋の空

回答数 : 40

投稿日時:

イサクさんの添削

「君からのチョコ青色の春動く」の批評

添削した俳句: 君からのチョコ青色の春動く

おはようございます。

なお様からも訂正でありますが「青」は春を表す色になります。
春夏秋冬で青、朱、白、玄、
二字熟語なら青春・朱夏・白秋・玄冬ですね。
二十四節気もそうですし、中国(特に漢文)の影響を受けている季節の言葉というのは大量にありますね。

この季節の移り変わりが、人間の一生にも例えられており、
青春(子)→朱夏(成年)→白秋(壮年)→玄冬(老年)という意味も持ちます。
日本語で言う「青春」が主に十代の判断力・経済力の未熟な若者を指すのも、ここから来ています。

で、御句。
◆「青色の春」、日本語としての「青春」を意識させたいのですね。
 ちょっとクドさ・しつこさを感じますし、上記の理由で「わざわざ言われなくても春は青色やねん」とツッコミの入る言葉ではあります。
 
◆「青色の春動く」の「動く」
 やや狙いすぎを感じる気もしますが、工夫しようという意識は悪くないと思いました。

俳句としては、
俳句は遠回しに言うのはあまり上手くいかないことが多いです。
先になお様より出ていますが、「チョコ」+「春の季語」で遠回しに言うよりは、「バレンタインデー」の季語を使った方のがよいと思います。
「バレンタインデー」の季語の本意に「青春・初恋・若者はなかなか渡せない」のような意味も内包されておりますので、そこを説明する必要もないです。

点数: 3

「息白く肩のはばたく行きの道」の批評

添削した俳句: 息白く肩のはばたく行きの道

おはようございます。

同時投句のもう一句と比較して、こちらはツッコミどころが多いです。

◆「肩のはばたく」の「はばたく」という比喩が、言葉は悪いですが非常にダサく感じました。
 上下している、という意味で使っているのでしょうか?

◆「行きの道」という表現が非常に野暮ったく感じます。
 少なくとも「行きか帰りか」というのは句の中で重要な情報には見えません。
 五音にするためだけに「行きの」と入れたようにも感じます。

◆「息白く」と連用形で使っていますが、連用形とは「用言にかかる」ものです。さて、どこにかかっていますか?
 「はばたく」にかかる?
 「行きの」が名詞用法ですがここにかかる?
 それとも連用形で一旦切れる?
 ここがわかりませんでした。

など、この句はいろいろかっこよくない箇所が多い句になってしまっているように感じます。

「はばたく」「行きの」などを諦めて、「歩く・走る・行く」などの情報を入れたり、もっと具体的な状況を入れた方が、句の映像が鮮明になると思いました。

・息白し肩はずませて走る道
・息白しいまにも遅刻しそうな子

点数: 0

「ひまわりや轢けば少しは涼めるか」の批評

添削した俳句: ひまわりや轢けば少しは涼めるか

おはようございます。はじめまして。
「涼む」を季語とご存じということは、勉強してらっしゃいますね。
「厳しく」ということでそれなりのコメントをしてまいります。

二句同時投句で、こちらの句の方が面白い句材だったので、こちらにコメントします。(もう一つの句は冬の句で、季節感がコメントしづらいというのもありました。)

◆御句の場合「轢けば」が何を轢いたか明確になっていません。
 普通に読めば「ひまわりを轢けば」っぽいのですが、「や」で切っているため、そこは確定できません。

なので御句は
「ひまわりや、動物を轢けば少しは恐怖心で涼めるだろうか」
「ひまわりや、人を轢けば少しは刑務所で涼めるだろうか」
などの怖い想像読みのできる句です。

作者が「ひまわりを轢けば」を意図して句作したならば、素直に「ひまわりを轢けば」とした方が良いとは思いますが。

季重なりについては「涼めるか」という疑問形ですし、句の意味としても季語の「涼み・納涼」とは違いますので、「涼む」に季語感が薄いです。「ひまわり」の句として気になりません。

点数: 0

「芍薬やママさんコーラスの楽屋」の批評

添削した俳句: 芍薬やママさんコーラスの楽屋

おはようございます。

最近のるる様の句と比較して、どこか違和感がありますね。

◆ 「芍薬のようなママさんコーラスの楽屋」のという、季語を比喩に使っているように感じてしまう形です。これは受け手がそう感じてしまう可能性がある、というしかないのですが。
 コメントを見ると、作者にとって「ママさんコーラス」は芍薬を見立てた言葉で、「芍薬はママさんコーラス」という気持ちで句を作っています。
 つまり「芍薬」と「ママさんコーラス」は作者にとって「近い取り合わせ」でした。

◆それに加えて、技術的な原因のひとつとして、「モノの季語(+や切れ)」+「動詞のないモノの十二音」の特有の不安定さがあります。

これらの不安定さを、私は違和感ととらえているようです。

まず、コメントにある芍薬の印象をそのまま句にするなら、明確に比喩の一物句でもよいわけですね。比喩の一物なら、近さは関係ありません。

・芍薬の咲くやママさんコーラスめき

取り合わせにする場合、季語が先にある状態で想像の十二音で取り合わせを作るのはかなり難しい、というのがまずありますが、

御句の場合は「芍薬」が明確なモノの季語なので、「ある程度コトを描写した十二音」の方が安定することがあります。
「ママさんコーラス」は音数の問題で非常に使いにくく、難しいはずです。苦心しましたがちょっと上手くいかず・・

・芍薬や野外ステージコーラス中

点数: 1

「蜜蜂を飼ふ屋上や銀座ビル」の批評

添削した俳句: 蜜蜂を飼ふ屋上や銀座ビル

おはようございます。

銀座の蜜蜂!
2年前になりますが、同じ句材での句作に挑戦された方がいらっしゃいました。

https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/20273

類想というわけではなく「同じ風景・テーマからの句作」というやつです。
吟行などをすると、皆で同じ風景を見るので、よく発生します。

「似た句材でいかに「自分の句」を作っていくか」
という参考になりそうでしたので、紹介しておきます。

点数: 1

イサクさんの添削2ページ以降を見る

トップページへ
添削依頼をする!

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

▼添削依頼された俳句の検索

▼添削と批評(返信)の検索

ページの先頭へ

俳句添削道場の使い方。お問い合わせ

関連コンテンツ