俳句添削道場(投句と批評)
イサクさんのランク: 師匠2439段 合計点: 7,434

イサクさんの俳句添削依頼

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笑いあおう次会うときは友よ初夏

回答数 : 13

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あたたかやなにもない街ですけれど

回答数 : 10

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バス停に並びのない日風薫る

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投げ捨てて終わりにしよう赤い薔薇

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句選自選そんなんできやんヒヤシンス

回答数 : 17

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イサクさんの添削

「祭の日風船逃げし泣いた日よ」の批評

添削した俳句: 祭の日風船逃げし泣いた日よ

こんにちは。

◆思い出を思い出のまま【過去形】で詠んで他人を感動させるのは難しいです。
 また、過去の思い出なので現在の季節がわからず、季語に季節感が出ません。

対策はひとつではないですが、たとえば「今日が祭りの日」で「今日風船が逃げて行った」という句にして、まるで現在のことのように描けば、季語は生きて来ます。
季重なりはありますが、この内容なら主たる季語は「祭」ですね。

「風船が逃げた⇒泣く・悲しい」を入れると因果も出ますし、主たる季語も曖昧になるので難しそうです。なので提案句は淡々と。

・お祭や風船どっか飛んでった

点数: 0

「夕薄暑乾杯の泡茜色」の批評

添削した俳句: 夕薄暑乾杯の泡茜色

こんにちは。

句だけを見て、シャンパンか何かを乾杯している風景だと思っていました。
とても気になる点がありまして、
◆乾杯の泡は茜色。飲み物本体に注目せず、泡だけに注目しているのか?
 飲み物本体と、その色は、なぜこの句では無視されているのか?

そしてコメントを拝見して、なんとなく理解しました。

◆「ビール」と出さずに「乾杯+泡」と連想ゲーム的に遠回しに言って、かえってわかりにくい句になっていると思います。上に書いた通り、わたしは別の飲み物を想像しますので、「泡が茜色」という言葉に違和感がありました。
 「ビールの泡」の句ならば、「ビールの泡」と言い切って明確に映像化した方がよいと思います。
 「ビールの泡」のことを詠んでいるのに、「ビール」と言わない理由が「薄暑という季語を使いたいので季重なりを避けた」なら、季語選択の発想が根本的にどこか違います。

◆三段切れ感はあります。中七の後に「は」「の」「に」などの助詞が省略されているのは理解できるので意味は切れていませんが、リズムの三段切れ感はあります。

◆「夕日が当たっているから茜色」という理由付けに見えますし、「夕」と「茜色」が明らかに近いです。「薄暑」はあまり関係ないですが。
 そうではなく「時間帯関係なく、泡が茜色になる珍しいビール」のことを言いたいのであれば、「夕」は使わない方がいいです。

俳句は「答えを言わない・想像させる」ものですが、
「大切なことを言わずわざわざ遠回しに言ったり、ヒントだけ順に与えて連想ゲームにする」のは違います。これをやってしまうのは、初心者さんあるあるです。
そもそも「季重なりになりそう=季節を表す句の主役がふたつある可能性が高い」というのは気にしてみてください。

ビールで詠む提案句
・乾杯のビールの泡にさす夕日

夕薄暑で詠む提案句
・乾杯の掛け声高し夕薄暑

↑どちらも「夕」という単語を信じれば、赤く感じる映像は出るのでは?わざわざ「茜色」という必要はないように感じますが。

点数: 1

「母の日や似顔絵並ぶマーケット」の批評

添削した俳句: 母の日や似顔絵並ぶマーケット

こんにちは。

可愛いらしい句ですね。

「マーケット」単独では「市場」という意味ですので、「海外の市場」や「○○マーケット」という販売会を一瞬想像しました。
また、五音だから「マーケット」を使った感も感じます。

スーパーマーケット、普段の会話では「マーケット」とは言わずに「スーパー」と略しますよね。コメントでも「スーパーのイベント」と書かれています。なので、下五は推敲ポイントだと思います。

「マーケット」を外す際の推敲のアイデアは先の方から出ていますね。どこに感動の焦点を当てるか、だと思います。

・怪獣だって嬉しい母の日の似顔絵

点数: 1

「水上の新緑に風ダムの朝」の批評

添削した俳句: 水上の新緑に風ダムの朝

こんにちは。

さわやかな光景ですね。
工夫をしたところのようですが、上五が省略可能に感じます。
中七下五「新緑に風ダムの朝」この措辞だけで、ダムの上を風が通っている映像が出ています。

と思ってコメントを見たら、

もしかして「ダムの水かさが増えて根元が水没した水没林・樹木」をお詠みでしょうか?
これを「水上の新緑」「水中の新緑」「水面の新緑」+「ダム」で理解させようというのは、さすがに言葉足らずな気がしています。

 水上の新緑・・ふつう新緑はダムの水面よりも上にあります
 水面の新緑・・ダムの水面に近い枝、あるいは水面に移った樹木を想像します
 水中の新緑・・水面に映った樹木?あるいは葉っぱまで水没してしまった樹木をストレートに表現した?あるいは水中で育つ藻類を「新緑」と見立てた?

という感想です。

「水没林」という単語が言葉の経済効率が高い(音数のわりにしっかりと風景が想像できる言葉)と思いますので、これを使って提案句とします。「水没林」を入れれば「ダム・湖」は言わなくても風景に出てくると思います。

・新緑の水没林や風の朝

点数: 3

「ふらここや中絶薬はしろじろと」の批評

添削した俳句: ふらここや中絶薬はしろじろと

再訪です。

N俳テキストの記事はまだ見ていませんが、俳句で「ウチソト」といえば、季語の「屋内屋外」のことが多いと思います。こちらのサイトでも何度か記述している話です。

根本的には、
★取り合わせの句で「季語」と「季語ではない部分」が、同時に感じられない(遠すぎる)場合、鑑賞が難しくなるという問題

というのをわかりやすくした一例が「ウチソト(屋内屋外)問題」です。
屋内の情景に屋外の季語、あるいは、屋外の情景に屋内の季語を付けると、映像が遠くなり(あるいは比喩っぽくなり)、鑑賞が難しくなる例があります。
適当に作ってみます。

・食卓の冷めたごはんや春の泥
・晴れた日の道路掃除や蜆汁

季語で、急に場面がワープしている気がしませんか?

(なお、時候季語には基本的にウチソト問題は発生せず、窓から見えそうな「月」「雲」「空」「日ざし」や、「雨」「雷」など室内にいても感じられる季語もウチソト問題を超えることが可能です)

御句は、基本的に屋外映像の季語「ふらここ」と、外に持ち出さない薬品の取り合わせなので、ウチソト問題が発生していると感じました。実際、薬品の方は「記憶」「検索画像」など、その場にはないことを想定していたようですね。

点数: 1

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