「夕薄暑乾杯の泡茜色」の批評
こんにちは。
句だけを見て、シャンパンか何かを乾杯している風景だと思っていました。
とても気になる点がありまして、
◆乾杯の泡は茜色。飲み物本体に注目せず、泡だけに注目しているのか?
飲み物本体と、その色は、なぜこの句では無視されているのか?
そしてコメントを拝見して、なんとなく理解しました。
◆「ビール」と出さずに「乾杯+泡」と連想ゲーム的に遠回しに言って、かえってわかりにくい句になっていると思います。上に書いた通り、わたしは別の飲み物を想像しますので、「泡が茜色」という言葉に違和感がありました。
「ビールの泡」の句ならば、「ビールの泡」と言い切って明確に映像化した方がよいと思います。
「ビールの泡」のことを詠んでいるのに、「ビール」と言わない理由が「薄暑という季語
を使いたいので季重なりを避けた」なら、季語選択の発想が根本的にどこか違います。
◆三段切れ感はあります。中七の後に「は」「の」「に」などの助詞が省略されているのは理解できるので意味は切れていませんが、リズムの三段切れ感はあります。
◆「夕日が当たっているから茜色」という理由付けに見えますし、「夕」と「茜色」が明らかに近いです。「薄暑」はあまり関係ないですが。
そうではなく「時間帯関係なく、泡が茜色になる珍しいビール」のことを言いたいのであれば、「夕」は使わない方がいいです。
俳句
は「答えを言わない・想像させる」ものですが、
「大切なことを言わずわざわざ遠回しに言ったり、ヒントだけ順に与えて連想ゲームにする」のは違います。これをやってしまうのは、初心者さんあるあるです。
そもそも「季重なりになりそう=季節を表す句の主役がふたつある可能性が高い」というのは気にしてみてください。
ビールで詠む提案句
・乾杯のビールの泡にさす夕日
夕薄暑で詠む提案句
・乾杯の掛け声高し夕薄暑
↑どちらも「夕」という単語を信じれば、赤く感じる映像は出るのでは?わざわざ「茜色」という必要はないように感じますが。